見出し画像

「まんが道」は続く〜藤子不二雄(A)さんの旅立ち

藤子不二雄(A)、[正しくは丸にA]こと、安孫子素雄さんが逝去された。藤子・F・不二雄(藤本弘)さんは、1996年に他界されており、これで藤子不二雄という偉大なユニットが完全に天に召されたことになる。今朝の朝刊では、かなりの紙面が割かれており、私が書くこともないかと思ったが、思い出を記録しておくことにした。

私が子供の頃は、TVアニメ「おばけのQ太郎」が全盛期である。一方、実写ドラマとして「忍者ハットリくん」があった。安孫子作品で言うと、その後の「怪物くん」と、マンガというより、TVの世界で藤子作品を楽しんでいた。

藤子不二雄=“子供向け“というイメージを払拭したのが、1974年から「少年サンデー」で連載された「プロゴルファー猿」である。私は中学生となり、ゴルフというスポーツも分かる様になる中、藤子不二雄の“マンガ“を毎週楽しみに読んでいた。

そして藤子不二雄(A)の最高傑作は、何と言っても「まんが道」である。自身の分身、満賀道雄(まがみちお) と藤本がモデルの才野茂が、終戦後、富山県高岡市の小学校で出会い、マンガを描き始め、やがて上京しトキワ荘に入る。二人を中心に据えた、青春群像劇である。

私にとって「まんが道」は前期と後期に分かれる。前期は、中央公論社から出た「愛蔵版 まんが道」を繰り返し読んだ頃である。ただし、これには1982年までに書かれた“あすなろ編”、”立志編”、”青雲編”までの収録で、「もっと続きが読みたい」という状況で終わってしまう。

後期は数年前、電子書籍で多くのマンガが読めるようになり、「まんが道」を再読、今回は“青雲編”に続く“春雷編”を含む最終巻までである。但し、「まんが道」は、満賀が主導して書いた「ロケットくん」がヒットし、彼は”カンヅメ”を体験する。徹夜明けで帰宅した満賀は、トキワ荘の窓ガラスに映る、執筆中の才野の影を目にする。これがラストシーンである。

「え〜、これで終わるの」という感じなのだが、1989年から2013年にかけて書かれた、「愛…しりそめし頃に…」で、物語を完結に導いてくれる。ラストは;

多くの若者が集ったトキワ荘だが、残ったのは満賀と才野、そして石森章太郎と赤塚不二夫の4人である。懸命にマンガに立ち向かった4人は、遂にブレイクする作品を生み出す。石森は「サイボーグ009」、赤塚は「おそ松くん」、そして「おばけのQ太郎」である。

手塚治虫の漫画賞受賞パーティーに出席すべく、4人はスーツに身を固め帝国ホテルに赴く。そして、会場で敬愛する手塚から、「今やきみたちは 強力な、僕のライバルだ!」という言葉をかけられる。

「まんが道」第1巻の冒頭には、こう書かれている。

これは まんがの持つ不思議な魅力にとりつかれ、
まんがに未来を賭けて、
まんが道(みち)という、終わりのない道へ踏み込んだ、
ある、ふたりの少年の物語である。


手塚が、藤子不二雄らが作った“まんが道”は、その後多くの人が歩み広げている。

向こうの世界でも、手塚・石ノ森・赤塚・藤本らに、藤子不二雄(A)さんも加わり、”まんが道”は続いているのだろう



この記事が参加している募集

#マンガ感想文

20,301件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?