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宮谷一彦「ライク ア ローリング ストーン」〜現在に通じる普遍性とは

毎日新聞に8月7日毎日新聞の朝刊、いしかわじゅんの連載「漫画を読んだ」に再度触れる。

この記事でマンガ家の宮谷一彦が今年6月に、享年76歳で亡くなっていたことを知った。宮谷は“みやや“と読む。そのことは認識しており、注目すべき作家としてインプットはされていた。ただ、彼がマンガ界に衝撃を与えたのは、1960年代後半から70年代にかけてであり、私がマンガにのめり込んだ70年代後半には、発表作品数はかなり減少していた。

そうした状況の中で、私はいくつかの作品は目にしたが、単行本を買い求めるには至らず、私の頭の中のリストからは消えていた。

久方ぶりに、宮谷一彦の名前を目にしたのが、前述のいしかわじゅんの記事である。その冒頭、<日本の漫画は、3度大きく変わったと思う>とし、<3人の大きな変革者>として、手塚治虫、宮谷一彦、そして大友克洋を挙げ、1967年、手塚が作った漫画誌「COM」で月例新人賞を受賞した宮谷を、<誰にも似ていない絵で、誰も描いていない物語を描いた>と評している。

そして、代表作として挙げているのが、69年に「COM」に連載した「ライク ア ローリング ストーン」である。この作品について、いしかわじゅんは<私漫画だった。自分の日常を描いている。そんな漫画が存在できるとは当時まったく思いもしなかった>と書いている。

調べてみると、出版社フリースタイルが復刻しており、Amazon Kindleで電子化もされている。早速読んでみた。

そこに表現されているのは、自身を投影したマンガ家の日常であるが、それは雀卓を囲むようなシーンもありつつ、内面の吐露が相当量含まれる。彼の日常は、普通の人の“非日常”である。それが、独特の画風と大量の文字で表現される。

宮谷は大物右翼の娘と付き合っていた。マンガにはこうある、<直子の父は ある政治団体の長だった ぼく自身の国家についての捉え方とは両極にあった>。宮谷は国家観を含め、<だれしもがもつ 自己の内部への問いかけ「おれは はたしておれなのだろうか」>と提起し、<すべての行動の根拠を描こう!!>。

ある種、時代の空気を感じながら、私は面白く読んだ。ただ、共感するものがあったかと言われれば、なかった。批評家のように読んだとも言える。いしかわは、テクニックも含め、<当時どれほどの凄いことだったかといっても、理解してもらうのは難しいかもしれない>と書く。私の感想はむしろ”凄さ”は分かる、ただ本質を理解できているのか分からない。

中条省平は、その著書「マンガの教養 読んでおきたい常識・必修の名作100」に、この「ライク ア ローリング ストーン」をエントリーしている。中条は<1970年前後の政治的・文化的な緊張と興奮が去ったのち、この作品に普遍性が残るとすれば、それは青春期の過敏な感受性がとらえた世界の不可知性といったテーマになるだろう>と評している。

なるほど、そういうことか


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