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つどいレポ『知らなかった、ぼくらの戦争』

第4回「ほんよみのつどい」の開催レポートです。
今回は8月開催、ということで、「戦争、平和」について考える回にしました(もう9月も終わりですが・・・!)。

今回の課題本は、以前「ほんよみのつどい」に参加してくれた方が、アンケートに「やるなら夏」というコメント付きでのリクエストをしてくれた本でした。
運営の2人も普段あまり読むことがない戦争に関する本だったので、どんな回になるだろう、と思いながら読んでいました。

今回の「ほんよみのつどい」は、20、30代の男女5名で行いました。もちろん、この本をリクエストしてくれた以前の参加者の方(リピーターさん!嬉)も参加してくれましたよ~!

※ つどいレポでは、本の内容について触れていますので、「まだ読んでないから内容を知りたくない」という方はぜひ読んでからご覧ください。

『知らなかった、ぼくらの戦争』ってどんな本?

アメリカ出身の詩人アーサー・ビナードさんが、文化放送の『探しています』というラジオ番組で、太平洋戦争を体験した日本人の方へ戦争の様子や、体験者の当時の心の動きについて伺ったインタビューを再構成したものです。

内容は戦争に関するものなので、できれば文字情報だとしても目に入れたくない、想像したくないような、当時の様子が鮮明に描写されています。この本の特徴として、何名もの太平洋戦争体験者の声が収録されているので、戦争について知るのにはもちろん、アーサー・ビナードさんの日本語に対する深い解釈にもあるなぁ、と読んでいて感動してしまいました。

例えば、「玉砕」という言葉に関して、アーサー・ビナードさんが考察したもの。

「玉砕」の英訳を探っていく途中、ぼくは「玉」と「砕」の原義を生かしたバージョンはないかと、文学作品に目を向けて、すぐに見つかった。(中略)さらに調べて、日本兵の体験を英語で紹介している人も Shattered Jewels と、ストレートに「砕かれた宝石」と置きかえていることがわかった。
しかし、英語の読者は当然「まず玉があって、それが砕ける」という順序で理解する。
そしてそこが勘違いの入り口になる。「玉が散る」のではなく「玉と散る」ものだ。
つまり一人ひとりが最初から「玉」であるわけがなく、「砕けて」初めて「玉」となり得る可能性が出てくる。生きたままだと価値がなく、死をもって美しく貴い存在に化けるというのが「玉砕」のカラクリ。

戦争に関する本は、こわくて悲しい、読んでいて辛いというイメージがありましたが、この本はちょっと違う。言葉の理解から戦争というものと向き合い、「戦争」を捉えようとしている本だと感じます。
このアーサー・ビナードさんの日本語への考察が、読み手の深い理解につながります。

「戦後づくり」について

「ほんよみのつどい」では、課題本の中で話したいトピックをまとめた「レジュメ」というものを用意します。
これは運営の2人で作っていて、本の内容からみんなで話したいと思う箇所を2か所ほど取り上げて、その箇所を「どんな風に読んだのか」だけでなく、そこから派生して、「○○について考えましょう」、というように学びを深められるようなものにしています。

今回はレジュメを作るにあたって、本の中のどのインタビューも取り上げたいと思うほど学びが多く、話したい箇所がなかなかまとまりませんでした。

レジュメに関する話し合いの中で、2人で後書きを読み、その中に書かれている、「戦後づくり」という言葉について考えたくなりました。

「戦後七十年」のとき、ぼくは先人たちの「戦争体験」を聴こうと決め込んで、マイクを片手に出発した。が、実際に向き合って耳をすまし、歴史の中へ分け入ってみたら、一人もそんな「戦争体験」の枠に収まらず、みんなそれぞれの「戦後づくり」の知恵を教えてくれた。
(p.255 戦後づくり —— 後書きにかえて)

今回は、純粋に本に書かれている戦争体験をどのように読んだか、何を感じたか、などの 参加者の皆さんの感想を共有して、その感想から「戦後づくり」を考えるような回にしたいと思いました。

想像力を鍛えること

わたしが今回のほんよみのつどいで「絶対に忘れたくない!」、と思った言葉は、参加者の方が話してくれた、目に見えないところまで考える、知ろうとすることの大切さです。

同じ国でもいろんな人がいるのに、国同士の対立では規模が大きすぎて相手の国にも「いろんな人がいる」ということを忘れてしまうのではないか、という話をしました。

まだあげ初めし前髪の乙女たちは毒ガス島で働いていた(p.62)
岡田黎子
—1929年、広島生まれ。大久野島の毒ガス製造工場に学徒として勤務。

中学生のときに毒ガス島で働いていた岡田さんの体験談では、戦争が終わった後に、中国大陸でその毒ガス被害を受けた地域の人々に謝罪の手紙を送り、その後友情が芽生えることになります。自分が毒ガスを作っていることも知らず、それが見知らぬ土地の誰かに使われることも知らなかった戦争中。その後、どこで使うためのどんなものを作っていたかを知り、自分自身を加害者として認識した戦後。

一つの「戦後づくり」として、戦争が終わっても、「果たして自分が何をしていたのか」「自分がしていたことがどんなことにつながっていたのか」をあきらめずに考え抜くこと。それだけではなく、手紙を送り、最後には友達になるというエピソードに、平和な世界を作り上げようと戦後を生き抜いてきた方の思いを感じることができました。

目に見えないところまで考える、知ろうとすることは、戦争に限らず、「分断」という言葉を耳にする現代でも忘れてはいけない言葉であり、考え方なのではないか、という意見もありました。

わたしたちにできる「戦後づくり」

よりよい戦後、これから先の戦後を考えるために、具体的にわたしたちが「戦後づくり」としてできることも話し合って、今回もあっという間に2時間が終わってしまいました。

例えば、「8月を自主的に平和月間として、戦争について知る時間を設けることをしてみる」ことや、日常生活でも”何かおかしい”と思ったら、流れを変えるために「敢えて空気を読まずに声を発してみる」こと。「戦争が行われた地を実際に訪れる」ことも、ひとつの戦後づくりです。

戦後づくりについて話している中で、これから先も戦争に加わらないために、何ができるのかを考えることがとにかく大切だと改めて認識できました。
戦争を体験した人たちの体験や当時の思いを、わたしたちがまったく同じように体験することはもちろんできませんが、その人たちの声に耳を傾け、体験や思いを想像力でつないでいくことが大切なのではないか、という参加者の方のお話が印象的でした。

「戦後づくり」の第一歩として、まずは「知ろうとすること」。
その機会を少しずつ作っていけるといいのかもしれません。

最後にはなんと、この本のもとになったラジオのアーカイブがあるということを紹介してくれた参加者の方がいました。
体験者の生の声を聞く機会が減ってきている中で、生の声を聞くことができる貴重な資料があることに感動!そしてオンラインでアーカイブのリンクを共有できることにも感動!で、最後の最後まで盛り上がった濃い時間でした。

ラジオアーカイブはこちら

「戦後づくり」がもっと身近になって、これから先も続くように、わたしたちも想像力を鍛えていく必要があることに気づかされた時間でした。
読んで終わり、ではなく、読んだ感想を共有したり、それぞれの考えを深めることができる「ほんよみのつどい」というこの場も、戦後づくりの場のひとつだと感じることができました。
「ほんよみのつどい」として、これからも忘れずに平和や戦争について考える時間を作っていきます。

今回の課題本

いつまで知らないでいるつもり!?
アメリカ出身の詩人アーサー・ビナード氏(1967年生まれ)が、日本人の太平洋戦争体験者たちを訪ね歩き、戦争の実態と、個人が争いから゛生き延びる知恵゛を探ります。
登場する語り手は、真珠湾攻撃に参加したゼロ戦の元パイロット、「毒ガス島」で働いた元女子学徒、戦後GHQで働いた元事務員など、実にさまざま。日本人以上に日本社会に詳しいビナード氏が、自身の受けたアメリカの教育とも照らし合わせながら戦争に対する考察を深めます。日本民間放送連盟賞・2016年番組部門[ラジオ報道番組]最優秀賞を受賞した、文化放送「アーサー・ビナード『探しています』」を採録して再構成した書籍です。
(小学館HPより)


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