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AI翻訳の手直しを何か別のことに喩えてみる①(タクシードライバー編)

こんにちは。翻訳ジャーニーです。

この記事では、AIによる翻訳結果を人間が手直しする Machine Translation Post-Editing(MTPE)を別の作業に言い換えてみます。

いつ事故るかわからない自動運転車

たとえば、あなたがプロの運転手だとします。都会で働くベテランのタクシードライバーだとしましょう。そんなあなたのところに仕事が舞い込んできました。

平均すると10分に1回の頻度でハンドル、アクセル、ブレーキ、その他の操作を間違えるAI運転技術があるとのことです。あなたはこの自動車に乗ってハンドルを握り、AIのミスを修正しながらタクシー業務をこなすことになりました。

※実際にはこんな車は現実的ではありませんが、AI翻訳を自動運転に喩えるとこんな感じになります。現実の話としてではなく、たとえ話としてお読みください。

歩合制の賃金は、これまでの額から3割引となります。経営者はこう言います。「AIが運転の代行してくれるので仕事が楽になります。だから距離も稼げるようになり、最終的にはこれまでと同じ給与になるでしょう。最初のうちは慣れが必要かもしれません」と。

ミスは平均すると10分に1回だけど

あなたはさっそく乗務を開始します。平均すると10分に1回の頻度で操作ミスが起こりますが、あくまで平均の話。60分連続でミスがないこともあれば、10分以内に何度もミスが起きることもあります。AIが運転を代行してくれると言っても、運転中は常に気を引き締めて周囲に気を配りつつ、自動運転の挙動にも意識を向けなければなりません。10分に1回だけ気をつければよいというわけではないのです。

郊外の高速道路はスムーズだが市街地はAIが邪魔

郊外の高速道路に乗ったときは、とてもスムーズでした。ハンドルから手を離すことはしませんが、ずいぶんと気は楽です。一方で、高速を降りて市街地に入ると、とたんにミスが頻発します。なぜか赤信号と青信号を間違えてしまったり、人間では選びそうにないルートを走ろうとしたり、まったくもって気が抜けません。最初のうちはAIがなぜそんな操作をしたのかと考えていましたが、操作の意図がまったく見えずイライラするので考えるのをやめました。しばらくすると、市街地ではAIが操作するのを待たずに、自分ですべてを運転するようにしました。

ちなみに、AI翻訳では赤信号と青信号を間違えるというケースはそれなりに発生します。Yes / No を反対に訳してしまうのはAI翻訳にありがちなミスです。

しかしこれでは給料がただ3割引になっただけです。AIの恩恵が受けられる場面はシンプルな道路などに限られています。また、運転に問題があって客が怒っても「AIだから仕方ありません」は通用しません。事故を起こせば運転手の責任です。

こんな仕事では割に合わないと、これまで通りの全手動運転(全自動の反対語)の乗務に戻ることになりました。自分で運転する方が楽だし早いしスムーズだし賃金も良いのですから当然です。

そんなあなたにAI信奉者がこう言います。

技術革新について行けない労働者に未来はないw

AI信奉者

新人ドライバーが入社して自動運転のアシストを始めることに

自動運転車に懲りて通常の乗務をしているあなたの会社に、新人が入社しました。運転技術が未熟な新人には、自動運転アシストの仕事が割り当てられました。

経営者はこう言います。「自動運転のアシストをしながら、運転技術やタクシードライバーに必要な技能を磨いてほしい。歩合制の賃金は3割引だが、AIのおかげで距離が稼げるので(以下略)」と。

運転技術など向上しない

新人は一生懸命に仕事をしました。AIのおかげで楽になった部分もありましたが、AIのミスをうまく修正できずに困ることもありました。AIが少し変わった動きやルート選択をすることもありました、新人はそれが適切なのかどうかが判断できず、「AIが選ぶのだから正しいのだろう」と思い、自分で修正することはしませんでした。新人は3割の減額をカバーしようと長時間仕事をしました

自動運転アシストの業務にも慣れてきたある日、何かの事情で新人が全手動運転の仕事をすることになりました。久しぶりに全手動で運転する新人でしたが、ここで衝撃的なことに気づきます。

運転が、うまくなってない。というか、へたになっているかも。

それもそのはず、運転は運転しないとうまくなりません。新人はずっとアシストをしていて運転はしていませんでした。むしろ、AIによる変な挙動やルート選びなどが身に付いてしまい、へたになったと言えるかもしれません。これは自分で気づければ良い方で、悪いケースだと自分で自分の運転がへたになっていることさえ気づきません。
こうして新人は、この後も運転技術を身に付けられずに、全手動運転より安い賃金で長時間働くことになります。

かるいまとめ

  • AI運転のアシストには高度な技術が必要である

  • AI運転だからと言って仕事が楽になるとは限らない

    • 実態に合わない割引は実態に合わない(トートロジー)

  • 結果、高度な技術を持つドライバーは従来の全手動運転を選択する

  • 新人ドライバーがAI運転のアシストを担当するようになる

    • 高度な技術がないのでうまくアシストしきれない部分がある

    • 技術が向上しない

    • 人が育たない

ざっとこんな感じでしょうか。

問題を解決するには?

  • AI運転の精度を高める

  • 現時点では高速道路などAIが得意とする道路でのみ使用する

  • アシスト業務の賃金を上げる

私が思いついた解決策は上の通りです。以下、個別に考えます。

AI運転の精度
AI運転の精度はタクシー会社が何もしなくても上がってくるでしょう。時間とともに徐々に改善はするはずです。ただ、翻訳業界では20年前から「次の翻訳技術はすごい!翻訳者いらなくなる!期待してて」って言われ続けて今に至るけども、ずっと期待を裏切られ続けてきています(一部のジャンルは除く)。私は20年前に翻訳を始めたのでもっと前から言われているかもしれません。

高速道路などAIが得意とする道路でのみ使用する
そうすべきですね。それをほかの場面にも使おうとするのは、コスト削減や競争の結果でしょう。コスト削減の圧というのはすさまじく、ちょっとの文句や倫理くらいでは動じません。これを変えるにはかなりの労力がいるでしょう。

ベテランであれば仕事が選べるので、割に合うAIアシストと全手動だけを選ぶことができますが、新人はそうはいきません。

アシスト業務の賃金を上げる
アシスト業務が全手動運転と同じ(あるいはアシストの方が高い)となれば、短期的には解決します。しかし、そもそもコスト削減のために導入されたのであれば、賃金を上げるという選択肢は現実的ではありません。

それに、実現できたとしても人材が育たないので、そのうちきちんとアシストできる人が業界からどんどん消えていきます。それまでにAIの精度が追いついていればよいのですが。。。

じゃあ結局どうすれば?

コスト削減のために導入されたのなら、賃金を上げるという選択肢は無理です。AI技術が進歩して割引賃金でも割に合うレベルになるのを待ちつつ、それまではAIが得意な場面でだけAIを使ってもらう、というのが落とし所じゃないでしょうか。

さらにさらに、立場や対象者ごとの対応・対策

ここまでを踏まえて、個人レベルでは以下のような行動をするのが大事なんじゃないでしょうか。

  • ベテランドライバー(ベテラン翻訳者)は

    • 割に合わない仕事をちゃんと断る。

    • 割に合わないことを仕事相手に伝える。

    • 割に合うAIアシストの仕事はする。

  • 新人ドライバー(新人翻訳者)は

    • 割に合うAIアシストの仕事をする。

    • 割に合わないAIアシストも、請けざるを得ないなら請けるのも選択肢(そもそも個人の自由だけど)

    • AIアシストをしつつ、並行して全手動運転の練習をしておく

  • ベテランも新人も

    • AIが万能ではないことを世の中に発信する(この記事だよ!)

      • 「AI結果の手直し」に向いている仕事とそうでない仕事があることを発信する(この記事だよ!)

    • 「AI反対派」「AI賛成派」とかいうチャチな論理に絡め取られない。

      • 主張は「俺/俺たちに適正な仕事をさせろ」だということを明確に伝える

      • (余裕のある人は)新人が育つ環境作りに貢献する

      • (余裕のある人は)立場の弱いフリーランス同士で助け合う

過当競争と、AI万能思想を背景にした過度なAI導入を見るに、これは翻訳業界が自らの首を絞めているんじゃないかと思ってしまいます。ここでは論じませんでしたが、質の低い翻訳が大量に出回り、翻訳という仕事自体の価値も毀損されかねません(というか、これはすでに起こっているかも)。

しかしこの自由市場においては、こうした流れを変えることはたいへんに難しいことだと思います。需要と共有、品質とコスト、そのせめぎ合いの結果として生まれる流れは、個人ではとうてい変えることができません。
それでも、自分自身や、同業者や、新人や、業界や、クライアントと翻訳を利用する人々や、翻訳という営みそのもののために、できることはやっておいた方がよいんだろうな、というのが個人の感想です

アディオス!

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