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点と点と線と短歌

今日も本を買った。

本を買う行為は点だが、それはどこかの点から線でつながっている。

10年前からだったり、その点をもう憶えていなかったりもするが、今日のそれは、記憶に新しい数時間前の点。こういう勢いのある買い物って、クラクラする。

ランチタイムも過ぎた頃、チェーンのとんかつ屋へ行くと、中に入れなかった。
入口で客が団子になっている。
どうにか中に入ると、中国人と思しき2世代ファミリーが、食券を購入していた。

これから食べるとんかつに興奮しきっているのだ。座席は彼らの連れ以外ガラガラなのに、券売機には10人弱の日本人が静かに並んでいる。
もとよりとんかつ屋には選択肢が少ない。
何かつ定食か、それだけを決めるのに何故そこまで盛り上がれるのか。ようやくおばあちゃんがチケットを手に入れると、今度は孫が券を買う。両親は急かすどころか、座席からビデオカメラを回していた。最強だった。

思いっきりフレームインした他の客の表情に目を向けることは、きっと未来永劫ない。なくていいと思う。

彼らを急かし、「申し訳ない」という気持ちを引き出して溜飲を下げるのは困難を極めるだろう。それより、並びのカレー屋でカツカレーを食べた方が手っ取り早い。 元来、私はそういうタイプだ。
だが、そうしなかった。ただ動けなかったのである。

その中国人が発散する「幸」に圧倒されて。

中国に旅して、地元の人が通う食堂でお粥を啜ったら幸せだろうと思うが、3回生まれ変わっても彼らほど楽しみきれる気がしない。バンドを追っかけて大阪に行って「大阪サイコー!」と煽られると、拳を半分までしかあげられないような人間である。より幸せに生きることが人間の目的だとしたら、基本的に生物として負けている。

…という思考の点が数時間後、本屋でつながった。

パッと開いた短歌に。

雪のなかソフトクリーム食べさせあう中国人の幸のはげしさ

並んだ本を手に取るのは、なんとなくである。その中で、購入に至るには理由がある。それを無関係な他人がコントロールするのは、あの中国人ファミリーに「はしゃいですいません」と思わせるくらい難しいことではないのか。まず思わないだろうし、別に無理に思わせたくないし、今さら思われても気味が悪い。

結局は自分の中にある点が本を選ぶ。

本を売る仕事をしているが、私はそれをよく知っている。
だから10年やっても、自分が売ったのではなく、お客さんが買ったのだとしか思えない。

…と長々綴りましたが、それを一首にしてしまった歌集はこちらです。

点、ありますか。

雪舟えま
『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』

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