強迫性障害のこと。
ちょうど10年前に受診した精神科で診断された、強迫性障害。
驚かなかった。受診前さすがにおかしいと思い、調べてみていた。「これ、わたし、ぴったりだ」。そこに書かれていたのは強迫性障害の症状だった。
やっと奇妙なわたしの行動に名前がついた。
鮮明に覚えているのは、小学四年生ぐらいだったかな、テレビを見ているときだった。
その日はちょうど24時間テレビの放送があり、家のテレビもチャンネルが日本テレビに設定されていた。
そこである1人のガン患者の物語が流されていた。私は茶の間でただ、かかっているから、という理由で、それを見ていた。
10歳の私には、そこに映されている「ガン」という病が恐怖でしかなかった。何も考えられなかった。ただただ怖かった。
そこから私の強迫行為が少しずつ姿を現してきた。強迫行為をするためのいいネタが見つかったとばかりに。
ふと、強迫観念が頭に浮かぶようになった。
「これをやらないとお前もがんになる」
そう、頭の中で誰かが言うのだ。誰なの?なんでそんな事言うの?根拠は何?そんな疑問が浮かぶ前に、ただ強迫行為に身を委ねるしかなかった。
「これ」というのは本当に意味のないことだった。自分でもわかっていた。例えば、パジャマを着た後にある言葉を〇回繰り返す。自分の気にいるように言えなければ最初からやり直し。完璧に言わなければならなかった。やめることは許されない。だってすぐ頭によぎるのが「やらなければ私や私の大切な人がガンになる」。頭の中の誰かの言葉だった。
強迫行為をし終えると安心する。「ああ、これで私も私の大切な人もガンにならない」。
だけどそれもつかの間。この病気の特徴、「頭の中の誰かに言われるがまま強迫行為を行っていると、どんどん悪化する」に徐々にはまっていった。底なし沼だ。強迫観念も強迫行為もどんどん増えていった。
異様に数字もひらがなも気にするようになった。学校でも気に食わない文字が書けたら何回でも消して書き直した。この数字なら大丈夫だから手を洗う時もこの回数。嘔吐恐怖もあったため(これはまた後日かくね)「お」「う」「と」、「は」「く」という字を忌み嫌った。日記を書く時はなるべく使わないようにした。できる限り避けて書いた。数字もひらがなも「これを使えば悪いことが起きる」。縁起恐怖と言うやつだ。書ききれないくらい「これをしてはダメ」「これしか許されない」という自分にしか存在しないルールが、もうごまんとあったのだ。
もう一つ私を悩ませたのは、不潔恐怖だった。潔癖症に似たもの、と言えばわかりやすいだろうか。こちらも代表的な強迫性障害の症状のひとつだ。
もともと綺麗好きではあった。でも病気というのはそんなレベルでは済まないのだと、身に染みてわかった。
そこらじゅうがウイルスや菌だらけに思えた。汚いと思うところでは息を深くも吸えなかった。先に書いたように嘔吐恐怖もあり、特に冬は強迫行為も一段と酷くなった。原因はノロウイルス。とにかく、とにかくこれにだけはなりたくない。そう思って手洗いを1日に何回もした。もちろん「〇回、こういうふうに洗わなければならない」っていう縁起恐怖もそこについてまわるわけで。二重苦で毎日疲弊していった。
手洗いだけではもちろんあきたらず、外出先ではトイレに入れない(誰が入ったか分からないから)、とにかくティッシュを使いまくる(1日ボックスティッシュ1箱ペース)、マスクの日々(使う前ゴミがついてないか入念チェック。何枚も何枚も箱から取り出して大丈夫そうなものだけ使ってた)、素足で床は歩けません(スリッパさえ素足無理)、手でポテトチップスとか考えられない(直前に手を洗っても避けたい)、お茶碗についたご飯は食べられない(直に茶碗についていない部分だけ選ぶ)、パジャマでトイレには行けない(汚染されたと感じた)、外から変えればすぐお風呂(疲れてそのままベッドにダイブとか鳥肌)
いやはや。ざっと書いたがこんなの全部書いてたら、今読んでくれてるあなたの画面一面真っ黒になっちゃうから、やめておくね。
もうルールがありすぎて自分でも何が何だか分からなくなってくるわけ。頭がふわふわしてくる。いつも頭フル回転。結果いつも不安。自分が間違ったことしていないか考えて。
お薬での治療が始まったわけだけれど、徐々に強迫観念、行為は減っていった。もちろんまだ上に書いたようなことは、自分の中に残ってて1日に何回かひょっこりと顔を出す。
でも頭の中の誰かのその声は小さくなった。
トントン。あのぉ、強迫観念です、また来てみました。いらっしゃいますぅ?
おぉいらっしゃい。りちゃん今やることがあるの。ごめんねぇ、お茶飲んだらお帰りくださいませ。
なんとかコントロールできるようになった。居留守使うこともできるようになった。本当に楽だ。やっほーバンザーイ生きやすーい♩¨̮て感じ。いや、まだそこまではいかないか。
でもね、ここまで良くなれて「これがいつの間にかできるようになってた」「強迫観念は浮かんでくるけど強迫行為に移すことが減った」そう言える今がとてもとても幸せで。
健康な頃を覚えててそれに戻る力がある。
人間てすごいなって最近よく感じる。何ができるとか何ができないとかじゃなくてさ、今あなたの心臓が鼓動を打ってることが奇跡なんだよ。頭で考える。心で感じる。ぜんぶぜんぶ最高なの。価値ってそこにある。
今日もにこにこいこうよ。ね?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?