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奇跡を起こす方法を学んだ日

私のよく聴く曲の一つに、
UVERworld(ウーバーワールド)の「PRAYING RUN」という曲がある。

ぜひ聴いてみてほしい。
この曲の魅力はなんといっても、下記ワンフレーズの歌詞だと思っている。

いつか誰もが驚くような奇跡が 
この身に起きたとしても
きっと僕だけは驚きはしないだろう
起こるべき奇跡が起きただけさ

何度聞いても、まさにそうだよなと思う。
そして、決まって思い出す「高校時代の経験」がある。

私は、ど田舎に生まれ、
小学校3年生から、地元のバレーボールチームに通った。

といっても、部員は人数ギリギリで、
中学校では体育館が狭く、外での練習も行われるような環境。
それでも、目標は市大会での優勝、そして県大会に出場することだった。

そんな私が中学3年生になった時、
もともと運動神経が良かったことも追い風となり、
中心市街にあるバレーの強豪高校からスポーツ推薦の話をもらったのだ。

この推薦を受けるかどうか、大変迷ったが
(この話も、別のどこかでぜひ書きたいところ)
結局、その推薦を受けることにした。

その決断によって開かれた道は、
田舎の中学生の想像を遥かに越えたものだった。

まず、地元から車で3時間はかかる
バレー部尞での生活が始まった。

そして、平日は6限目が終わるとすぐに練習が始まり、
練習が終わるのは、22時を越える日もあった。

土日も朝から晩まで練習があり、
地元に帰ったのはお盆と正月の年に2回、1泊2日ずつだった。

そして、田舎のバレー部とは、バレーのスピード自体が違い。
コンビネーションのスピードが爆速だった。

今までと比べ物にならない練習量やスピードに驚く日々が数週間続いたが、
何よりも驚いたのは、
同級生が当たり前にその練習をこなせていることだった。

どうやら、
中学の時から、全国制覇を目指し同じくらいの練習量をこなし、
スピードのあるバレーを当たり前にやっていたようだ。

それはそうだよな、、
田舎の「めざせ県大会」のチームと、
「めざせ全国制覇」のチームでは環境も監督も違うよな…

そして、バレーの強豪中学校出身のみんなは、
「〇〇中の△△ちゃん」と、出身中学で認識し合うことが多く、
コーチや監督も含め、お互い顔見知りだった。

それに比べて、ど田舎の中学校出身の私は、
まず話についていけないし、無名中学で認識してもらえない。

推薦で入学したが、想像を絶するギャップだった。

そうこうしていると、入学から3ヶ月ほど経ったある日、
同級生の中から、学年代表、つまり「未来のキャプテン候補」が監督によって決められた。

もちろん、私がなるわけもなく、
わたしたちの代も、例外なく、名門中学校の子だった。

そうだよね、わたしなわけないよね…
中学校でキャプテンをやってきたこともあり、
選ばれないことに、リーダーになれる存在に慣れていないことを、
改めて知らされた気持ちになった。

周りの波に飲み込まれ、周りに合わせるように送る日々。

このままだとダメだと思った。
自分が確立できていない状態で彷徨いそうになったが、
「この道(高校を選んだこと)を正解にする」と覚悟を決めるしかなかった。

ど田舎のバレーしかしらないし、
監督の愚痴を共有し合う雰囲気にも入り込めないけど、
誰よりも、真剣にバレーに向き合っているし、
一番勝ちたいと思っているのは私だと思ってたから、
譲れない気持ちでいっぱいだった。

私は、なんのために、親元離れて、強豪校に来たのだろうか。

ぜったいに自分達の代で、キャプテンになって、レギュラーになるんだ。

そう決めた。
ぜったいそうじゃないと嫌だし、そうなるってきめた。

いま思えばかなり横暴な発想だったと思うが、
そこからは、その前提で必死に日々を過ごした。

練習にはもちろんしっかり取り組んだし、
朝の走り込みも続けた。
球拾いだって、レシーブをイメージして取り組んだし、
待ち時間だって、踵を浮かして下半身強化の時間にした。

そして、キャプテンになるということは、
学校生活でもお手本である必要があるだろうから、
学校の勉強や行事もきっちりと行った。

寮の部屋も、
いつ誰に見られても大丈夫なように整えることに努めた。

とくにかく、キャプテンを選定するって時に、
星取表を作成したならば、全て二重丸がつくように、
絶対に悔いが残らないように、考え、できることは全部した。

入学して2年は、そんな必死な日々だった。

そして、その結果は高2の冬にでた。

1つ上の先輩の引退試合が終わった翌日、
監督が呼び出しをしたのは私だった。

監督の部屋に入り、監督が発した言葉は、
「明日からお前がキャプテンをやれ」の一言だった。

不思議なもので、
こういう時に感じるのは、喜びというより、安堵だった。

良かった。
安心している自分がいた。

そのあと、喜びが湧き上がってきた。
2年前の自分が不可能かもと思ったことを一つ叶えることができた。
それは、私の大きな自信となった。

田舎から出てきた者が、
キャプテン候補を差し退いて、キャプテンになる。

この経験は、みんなからすると
「奇跡」と言われるのかもしれない。

でも違う。
わたしにとっては、なるべくして掴んだ未来だ。
努力で、計画的的に手に入れた結果なんだ。

こんな経験が、
UVERworldのPRAYING RUNを聴くと思い出される。

いつか誰もが驚くような奇跡が 
この身に起きたとしても
きっと僕だけは驚きはしないだろう
起こるべき奇跡が起きただけさ


すべて「結果」と「原因」の因果の法則なんだなと。

「結果」にはそれを作り出した「原因」がある。
ならば「原因」を積み重ねて確実な「結果」を得たい。

努力(原因作り)を積み重ねて、
得たい未来を実現する(結果)ことは、
本人からすると、それは単なる「奇跡」でなく、
当たり前の未来だ。

人生は一度しかない、
ならば「奇跡」に頼るしかないなんて、心もとないじゃないか。
そんな人生はいやだ。

そう思うなら、得たい「奇跡」を「目標」に変えて、
ぜったい叶えられるように、
叶って当たり前と思えるように、努力をしたい。

全部は叶えられないかもしれないが、
それすらも自分の原因でありたい。

そして、やれることを全部やった上で、
最後の最後、神様に「奇跡」をお願いする
そんな人生を生きていきたいと思うところです。

最後まで、お読みくださりありがとうございます!
まだまだ頑張らないとなと思う今日この頃です。

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