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『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪』 – 日めくり文庫本【12月】

【12月20日】

 炊事係としての私の日常がはじまった。家庭では家族がそれぞれ朝飯の時間を異にしていたので、朝の食事の支度をした私は、その支度をがらんとした茶の間のまんなかに置き、いつ誰が起きても朝の食事のできるようにしておいた。それから私は私の住いである女中部屋にかえり、睡眠のたりないところを補ったり、睡眠のたりている日には床のなかで詩の本をよみ耽る習慣であった。旅だつとき、私は、持っているかぎりの詩の本を布団包みのなかに入れたのである。しかしまことに僅かばかりの冊数で、私はそれだけの詩の本のあいだをぐるぐると循環し、幾度でもおなじ詩の本を手にしなければならなかった。
 毎朝時間のきまっているのは分裂心理病院につとめている一助だけで、あとはまちまちであった。二助は学校に出かける時間がちっとも一定しなかったが、毎朝きまって出かける十分前まで朝寝をし起きるなり制服にきかえ、洗顔、新聞、食事などの朝の用事を十分間ですますことができた。家庭に最後までのこるのは常に三五郎で、彼は午前中しか勉強時間がないといったに拘らず、午前中朝寝をした。そして彼が午に近い朝飯をたべるときは必ず女中部屋の私をよび、私といっしょに朝飯をたべることにしていた。

「第七官界彷徨」より

——尾崎翠『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪』(岩波文庫,2014年)19 – 20ページ


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