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『フランス二月革命の日々』 – 日めくり文庫本【7月】

【7月29日】

 こうした要因が集まり合って、この革命での民衆の足ぶみ状態が生みだされたものと私は考えている。私は民衆が革命で示した全能の力に驚かされたが、同様にこの民衆の停滞状態にも驚かされたのだった。この停滞は、言葉によってふくれあがったエネルギー、またこのエネルギーが生みだした恐怖の想い出と、奇妙なコントラストをつくっていったが、このコントラストが強ければ強いほど、それは目立つものとなっていた。ティエール氏の『フランス革命史』、ラマルチーヌ氏の『ジロンド党史』、それ程すぐれたものではないが、よく知られているその他の著作、とくにまた演劇などが、恐怖政治の名著を回復させ、こうしたことがある程度の流行となった。かくて人びとはこの時代のなまぬるい情感を九三年の火をふくような言葉でもって語ろうとした。そして九三年に名をあげた大悪人たちの前例や名前を、それを模範として行動しようというエネルギーもまじめな欲求もないのに、あらゆる瞬間にもち出したのだった。
 私がすでに二月革命の哲学とまえもって呼んでおいたもの、それは社会主義の理論のことであった。この理論は後に真の激情に火をつけることになり、ねたみ心をかき立て、ついに階級間の戦いをあおり立てることになった。初めのうち情熱は、そうなるのではないかとおそれを抱く人がいたほどには、常軌を逸したものではなかったのだが、革命の翌日になってみると、民衆の考えのなかには、度はずれの激動とこれまでになかったような無秩序が、実際に出現することになった。
 二月二十五日から数多くの奇異な理論が、烈しい勢いで改革者たちの精神から噴き出し、群衆の混乱した心のなかに広まっていった。王権と議会のほかはすべてまだ生きていたが、革命の衝撃で社会そのものがこなごなにとび散ってしまうのではないかと思われて、その後にうち建てる建築物にどんな新しい型を与えるべきかについて、いろいろの考えを提出して、人びとは競いはじめたようだった。ある者は新聞にそれを発表し、他の者はプラカードによってそれを提示し、こうしたプラカードは街中の壁面をおおうようになる。またある者は戸外で自分の計画を叫んでいた。一人は財産の不平等をうちこわせと主張し、他の一人は知識の不平等をなくせという。第三の者は、最も古くからの不平等、つまり男と女の間にある不平等をなくすことを計画していた。貧困に対する特効薬や、人類発生以来の苦悩の種である、労働にともなう弊害への対策が指摘されたりした。
  こうした理論は、それぞれ、ずいぶんと異なっていて、相互に矛盾することもしばしばで、敵対するものすらあった。こうしたものすべては、政府よりも、もっと底辺のところにねらいをつけていて、彼らを支える社会自体を手に入れようと努力していたのであり、社会主義という共通の名称を掲げていた。
 社会主義は二月革命の基本的な性格として、また最も恐るべき想い出としてあり続けるだろう。共和政は目的としてではなく手段としてのみ、かろうじてそこに現れてくることになる。

「第二部 Ⅱ 二月二十四日の翌日のパリ、またそれに続く日々——新しい革命の社会主義的な性格」より

——トクヴィル『フランス二月革命の日々』(岩波文庫,1988年)129 – 131ページ


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