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『もの食う話』 – 日めくり文庫本【11月】

【11月28日】

 子供はさまざまなお八つを食べて大人になる。
「なにを食べたかいってごらん。あなたという人間を当ててみせよう」
 といったのは、たしかブリア・サヴァランだったと思うが、子供時代にどんなお八つを食べたか、それはその人間の精神と無縁ではないような気がする。
 猫は嬉しい時、前肢を揃えて押すようにする。仔猫の時、母猫の乳房を押すとお乳がよく出る。出ると嬉しいから余計に押す。それが本能として残ったのだと聞いたことがある。子供時代に何が嬉しくて何が悲しかったか、子供の喜怒哀楽にお八つは大きな影響を持っているのではないか。
 思い出のお八つは、形も色も、そして大きさも匂いもハッキリとしている。英字ビスケットにかかっていた桃色やうす紫色の分厚い砂糖の具合や、袋の底に残った、さまざまな色のドロップのかけらの、半分もどったような砂糖の粉を掌に集めて、なめ取った感覚は、不意に記憶の底によみがえって、どこの何ちゃんか忘れてしまったけれど一緒にいた友達や、足をブラブラゆすりながら食べた陽当たりのいい縁側の眺めもうすぼんやりと浮かんでくるのである。
 そういう光景の向こうから聞こえてくるのは、私の場合、村岡のオバサンと関屋のオジサンの声である。昔、夕方のあれは六時頃だったのか、子供ニュースというのがあって、村岡花子、関屋五十二の両氏が交代でお話をされた。この声を聞くと夕飯であった。このあと、「カレント・トピックス」という時間があった。男のアナウンサーが、英語でニュースを喋るのである。私は、これをひどく洒落たことばの音楽のように聞いていた。それにしても私は自分に作曲の才能のないのが悲しい。ハイドンの「おもちゃの交響曲」にならって、わが「お八つの交響曲」を作れたらどんなに楽しかろうと思うのだが、私はおたまじゃくしがまるで駄目なのである。

向田邦子「お八つの時間」

——文藝春秋編『もの食う話』(文春文庫,2015年)266 – 267ページ


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