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『日本近代文学評論選 昭和編』 – 日めくり文庫本【2月】

【2月5日】

 むろん僕は明治時代の文学者や思想家の仕事がすべてこうした馬鹿げた事柄に費されて来たなどというのではない。当時の優れた文学者や思想家は皆この奇怪な時勢の流れに反抗した人であった。しかし今僕がここに述べたような事柄はひとつの時代の風潮としては確かに存在したのではなかろうか。そしてこの風潮を軽蔑したにせよ利用したにせよ、すべての人々は多少ともこうした時代の勢いに押し流されることも免れなかったのではなかろうか。
 文学についての知識をどれほど積み重ねようと、それだけでは決して文学は生れないように、思想についての知識はたとえどれほど広くかつ深くとも、それだけでは思想家を生むに足りぬはずである。或る思想についての知識を持つとは、これを理解すること、即ちその生きた意味を本当に捕えることさえ同じでない。また更にその意味を僕らが実際に生きることによって確めたとき、始めて僕らは或る思想を自分のものにしたといい得るだろう。
 そしてここに思想の人間に影響する真の姿があるとすれば明治以来の我国の文学思想における西洋の影響の浅薄さは自ら明らかなはずである。
 すなわち当時の社会を支配した西洋崇拝というよりむしろ西洋恐怖の風潮のお陰で、そこに輸入された外国の文学または思想は単なる生硬な知識の形ですら社会から過大な流通価値を与えられたため、かえって我国の土壌に根を下す余裕を与えられなかった。或る思想が輸入され、一渡り流行して消化される暇もなく忘れられて行くと、これと代わって別の思想が更にまた「新知識」として輸入された。そしてこの思想もまた単に目新しい知識である間だけ歓迎され、やがて忘れられるのは前の思想と同じであった。
 その結果、文学は絶えず新式の機械でも輸入するように、海外の新意匠を求めて転々し哲学は、自分の思想を持たぬ多くの「哲学者」を生んだだけであった。
 「新しい舶来者に対して敏捷に魅惑され、気ぜわしく動かされるのは、明治以来の日本の特有性である。」と政宗白鳥氏はいう。
 明治大正時代の我国は普通西洋文明消化の時代であったといわれている。だがそれは内面から見れば、急激に強制された応接の暇ない西洋文化の輸入のために、僕らの精神が消化不良を起した時代であったのではなかろうか。漱石は「それから」に代助の口を藉(か)りて当時の日本を「牛と競争する蛙」に譬え、「もう君、腹が裂けるよ」と書いている。

中村光夫「「近代」への疑惑」より

——『日本近代文学評論選 昭和編』(岩波文庫,2004年)292 – 294ページ


大東亜戦争期中に文芸雑誌『文学界』で特集された「近代の超克」において、テーマ設定自体を問い直すかたちで日本の「近代化」の浅薄さを指摘した中村光夫の一節。それにしても、夏目漱石がひとことで言い表しているのがなんとも小気味いいです。

夏目漱石『文学論』【2月9日】

/三郎左

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