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『ちょっとピンぼけ』 – 日めくり文庫本【10月】

【10月22日】

 上陸作戦の噂が拡がり、重要人物の英国到着が日ごとにふえてきた。
 ものすごい白髪まじりの茶色の髭もじゃのアーネスト・ヘミングウェイは、このリトル・フレンチ・クラブへ加わった最後の会員だった。彼は赤くただれたような眼をして、ひどい様子だったが、彼との再会は私にはまったく嬉しかった。
 われわれの友情が始まったのは、あのなつかしい時代だった。まだ若い駈け出しのフリーランス写真家だった私は、すでに著名の作家であった彼と、一九三七年共和国のスペインではじめて知りあった。どこへいっても彼は親爺パパとよばれ、私はすぐに彼と養子縁組みした。以後数年間、いろんなばあいに、彼は養父の義理を果たしてくれたが、今たいして金に困っていそうでもないこの養子と再会して、たいへん喜んだ。私の彼への孝心と、景気のいいところを見せるべく、自分でももてあましてる私のしごく豪勢なアパートで、彼のためにパーティーを開く事に決心した。
 毎日見舞いにいく病院でこの計画をピンキィに話すと、こっそりシャンパンの小瓶でも持ち込むことを条件に、彼女は承諾した。彼女は、私が留守にした十ヶ月間、自分の配給を貯めた十本のスカッチと八本のジンが、洋服ダンスに隠してあることをうちあけた。
 スカッチとジンはまったくの統制であったが、プランディやシャンパンは三十ドルも出せば容易に買えるものであった。この偉大な催しの前日、私は金魚鉢一個、シャンパン一ダース、数本のブランディ、新鮮な桃六個を買った。皮をむいた桃をブランディに浸して、そのうえにシャンパンを注ぎこむと、万事用意が整った。
 この無料の大酒宴と、ヘミングウェイの取り合わせの魅力は否応なしだった。上陸作戦のためにロンドンに待機中の皆が、このパーティに現れて、スカッチとシャンパンとブランディとジンまでも飲んだ。

「Dデイの前夜」より

——ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』(文春文庫,1979年)147 – 148ページ


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