3月に読んだ本



全卓樹『銀河の片隅で科学夜話』


表紙の絵(挿画も素敵だった!)と、冒頭の

科学に触れず現代を生きるのは、まるで豊穣な海に面した港町を旅して、魚を食べずに帰るようなものである。

全卓樹『銀河の片隅で科学夜話』

という文章に惹かれて借りてきた。

流星に願いを託す習わしは、昔から世界中に広く行き渡っている。予告なく現れて、一瞬の光芒とともに消え去る流星は、天界から遣わされた僥倖の使者のように思えるからだろう

全卓樹『銀河の片隅で科学夜話』

ここもいい〜。

坂本龍馬が現代を生きていたら、宇宙開発ベンチャーに乗りだすであろう、という話、なんとなくわかる気がする。

第5夜「真空の探求」

真空が17世紀にすでに発見されていることに驚く。
自分が何億年生きたとしても、真空なんて発見できないだろうな。

パスカルがピュイドドームで気圧の実験したという話、ツールドフランスのポッドキャストで聞いた!
去年のツール・ド・フランスでマイケル・ウッズが勝った山!

「アリと自由」の革命するアリの話が面白かった。

アリに心はあるのか否か。

サムライアリは他のアリ達の巣を襲って卵や幼虫を奪う。拉致された子どもたちは、サムライアリの奴隷として育てられるらしい。がーん。
しかし、ときに奴隷になったアリ達がサムライアリに反乱を起こすこともあるらしい。
ところが、反乱を起こした奴隷アリが集団でサムライアリに向かって行っても、結局はサムライアリに鎮圧され殺されてしまうという。
では、なぜ奴隷アリ達は反乱を起こすのか。
一見無駄に思えるこの行動にも意味はあった。
その後、反乱を起こした種族の巣をサムライアリは襲わなくなるのだという。
結果的に反乱を起こすアリ達は、身を挺して一族の絶滅を防ぐ、ということになるらしい。

赤外線で見た星々は、銀河中心に近づくにつれどんどん密度が増して千倍万倍、しまいに何十万倍にもなる。
(中略)
するともう、まわりじゅう星だらけになって、青や赤に輝く星たちの明るいこと明るいこと。そのあたりの星たちのまわりに安定な惑星が存在しうるのか、今のところ推測の域を出ないが、仮に惑星があってそこに生物が住んでいるとしたら、彼らの夜空の絢爛さ美しさは、想像を絶するものだろう。

想像しただけで綺麗だな。未来の人類はこういう景色をなんらかの方法で見ることができたりするのかな。それともその前に滅んじゃうのかな。



カルロ・ロヴェッリ 『世の中ががらりと変わって見える物理の本』

『銀河の片隅で科学夜話』がよかったから、科学とか物理学の本が読んでみたいなと思って
カルロ・ロヴェッリの『世の中ががらりと変わって見える物理の本』という本を読んでみた。

「現代物理学についてあまり知識がないか、またはまったく知らないという人たちのために書いたものです。」

ということなので、物理学をまったく知らない自分にも読めるかなと思って。

難しかったけど面白かった。
アインシュタインはすごい人だということがわかった。そんなのみんな知ってるか。

「塗り替えられる宇宙の構造」の章がよかった。宇宙観の歴史の話。
関係ないけど野球の「右中間」て宇宙関係あるのかな?と子供のころは思っていた。
誰も宇宙の果てを見たことがないのに、計算でどうなってるかを突き止めようとしてるのが魔法みたいで面白いなと思う。
この本も10年前くらいの本だから、今はさらに宇宙観が更新されているのかもしれない。

最終講義の「自由と好奇心を持つ人間」もよかった。

高野文子の描いた「ドミトリーともきんす」という漫画がある。

「不思議な学生寮「ともきんす」に暮らす“科学する人たち”朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹……彼らが遺した文章と一組の母娘の出会いを描く」(中央公論新社HPより)という漫画

大好きな本。
特に、湯川秀樹の「詩と科学 子どもたちのために」の章が好きで、電子書籍で湯川秀樹「詩と科学」も買った。

詩と科学とは同じ所から出発したばかりではなく、行きつく先も同じなのではなかろうか。
そしてそれが遠くはなれているように思われるのは、途中の道筋だけに目をつけるからではなかろうか。
どちらの道でもずっと先の方までたどって行きさえすればだんだん近よって来るのではなかろうか。
そればかりではない。二つの道は時々思いがけなく交叉することさえあるのである。

湯川秀樹『湯川秀樹 詩と科学』(平凡社)

「帰りの電車が途中の停留所のひとつまでく ると、(中略)東北の方向に夕日を受けた比叡山がよく見える。
一日の疲れが自分の中にも周囲の人たちの中にもひろがってゆく。
そういう世界の中で、わたしのあこがれ、発見さるべき真理があの山の 彼方にある。
わたしはそう思って、自分の気持をひきたてていたのである」

『湯川秀樹著作集7 回想・和歌』

「ドミトリーともきんす」で紹介されていたこの言葉が本当にいいなと思って、山を見ると「発見さるべき真理があの山の彼方にある!」と思うようになった。

「私たち人間がわかっていることの周囲には、大海のようにひろがる、まだ解き明かされていないことと境を接しながら、謎めいた美しい世界が光り輝いています。その姿に私たちは息をするのも忘れて見惚れてしまうのです」

『世の中ががらりと変わって見える物理の本』

『世の中ががらりと変わって見える物理の本』も『銀河の片隅で科学夜話』も、科学の本だけどすごく詩に近いところにあると思った。
山の向こうに真理があって、未知は大海のように広がっている。
未知を追求する姿は美しく詩的だ。


↑改題しただけで同じ本


三島由紀夫『戦後日記』

三島由紀夫の政治思想にも、三島作品に出てくる登場人物にも、共感できたことはない。
でも、好きな小説が何作品かある。
『戦後日記』を読んでみて、すごく頭がいいんだろうな〜とすごく頭の悪そうな感想を持つ。
書いてあることの意味が半分くらいわからない。頭悪そう、じゃなくて悪いじゃん。

三島は、聡明で、健康で、バイタリティに溢れている。
小説書いて、戯曲も書いて、しょっちゅう出かけて、剣道やって、ボディビルもやる。
風邪を半裸で日光浴するだけで治したり、4月から半袖で歩き回って道行く人に寒くねえのかよと言われたり、剣道の試験を受けたあとに3時間踊りまくって夜中に帰ってきたりする。元気すぎる。
「この日本刀で人を斬れる時代が、早くやって来ないかなあ」と言ったりもする。元気すぎてやばい。

三島は猫が好き。猫の肉球スタンプの返事出すとかマメだしかわいい。


岡山県の或る愛猫家の老婦人から、私の猫の噂をきいたという手紙をもらい、猫の足を 印肉におしつけて、スタンプ入りの返事を書いたら、今度は、「猫に上げてくれ」という口上で 、結構な鯛の浜焼をいただいた。猫には一つまみだけやって、人間どもが、たちまち平らげてしまった。実に旨かったが、これもこの猫のおかげである。

三島由紀夫『戦後日記』

でも太宰は嫌い。

「私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔 がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌を していなければならない。
私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強味となることぐらい知っている。しかし弱点をそのまま強味へもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。

三島由紀夫『戦後日記』

太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な 生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ

三島由紀夫『戦後日記』

顔のことはほっといてあげてほしい。
そしてなんかすいませんと思う。私は太宰じゃないのに。
そんなに嫌いですか。私はけっこう好きです。
太宰、器械体操するかな…。
この弱さを許さない生き方、もし間違って現代に来てしまうことがあれば、三島はそうとう生きづらそうだなと思う。

三島由紀夫はコンプレックスとともに語られることが多いけど、コンプレックスコンプレックス言われてかわいそうだな、と思う。

日記を読んでいると、三島は一瞬の生のために生き、死ぬこと。それこそが美だという考えに取り憑かれているようにみえる。
私は三島の最期も、一瞬の輝きのための、大義のための死も美しいとはとても思えない。
芸術の無力さを嘆いていたけど、三島のあの行動より三島の書く文章の方が何倍も美しい。
もっと長生きしてたくさん本を書いてほしかったな。


超個人的時間旅行


『超個人的時間旅行』という本を読んだ。
好きな作家が多く参加していたので、読んでみたいと思って通販で買った。
タイムトラベルをテーマにしたアンソロジー同人誌。

とてもよかった!みんな面白かった!
特にワクサカソウヘイ。せきしろ、上田誠、こだまのエッセイが好きだと思った。
古賀及子「積もってたまった西小山」も面白かった。
レシートや音楽や冷蔵庫やポケット、なんでもタイムマシンなりえる。
何かをきっかけにいつでも過去に思いを馳せることができるということ。
過去を思い出すことも思考の旅なんだな~と思った。


ダヴィッド・ブルトン『歩き旅の愉しみ』


引用される著名人は『ウォークス 歩くことの精神史』と被っているところも多い。https://note.com/hontokajitensha/n/na190a4955c62でも、内容が似通っているかというとそうでもなく、こちらはロマンに寄っている感じがする。「素晴らしい散策」と「風景は生きている」の章がよかった。

グッときたところ↓

美しさのあまり、ときに息が詰まりそうになることがある。それは、美というものは美しいだけでなく、言葉では表せない別のものへの飛翔、自分の真の姿を気づかせてくれる澄み切った泉でもあるからだ

ダヴィッド・ブルトン『歩き旅の愉しみ』

存在のはかなさを悲しむのではなく、はかなさを情熱にかえることが重要だ

ダヴィッド・ブルトン『歩き旅の愉しみ』

津村記久子『苦手から始める作文教室』

ちくまQブックスという10代向けのレーベルから出ている。
全然10代じゃないけど読んでみました。

例に挙げられている高校生の書いた『天ぷら』という作文がいい。

「誰も読まない文章に価値はあるか」の章

私は頭のなかがいつもごちゃごちゃしている。
そのごちゃごちゃがスマホのメモ帳にたくさん書いてある。それを許された気がしてうれしかった。
このブログが誰にも読まれなかったとしても、自分が読んだ本が思い出せるというだけで私には価値がある。

文章が本当に下手だから、それがなんとかマシになれば…と思ってこの本を読んでみた。
別に素敵な文章が書きたいとか、ちゃんとしたレースレポートやレビューが書きたいとか、そういうことは全く思っていない。(ていうか書けるわけない)
単純に思ったことだけを書きたい。
ただ思ったことをもう少しだけマシに言語化してみたい…。

「心を支えるメモ」の章を読んで、メモを取るのっていいなあと思った。


植村直己『青春を山に賭けて』

面白かった!!一気に読んでしまった。

植村直己の思い込んだら一直線な性格と弛まぬ努力!

山岳部に入ったときも、
「部を続けていくには自分で体力をつくるより方法はないと思っ」て
「朝六時に起き、九キロばかりの山道を走りまわる」し、

片道切符だけを持ってアメリカに行って、果実もぎの仕事をしても、

ぶどうの葉の茂みの中に顔をつっこみ、足長バチの巣にふれて、ハチが一斉にむかってくることもあった。毎日、二つ、三つ顔を刺された。しかし、もぐのに夢中になるとそれほど痛くもなかった。(中略)苦労のかいあって、一ヵ月目には、メキシコ人を追いぬいて、一日三十ドルをかせぐようになった。

植村直己『青春を山に賭けて』

とにかく頑張る。
絶対痛いし。
どんな苦労も厭わないという迫力すら感じる。

シャモニーのスキー場では、スキーは滑れるか?と聞かれて、そんなに滑れないのに「私はグッドスキーヤーだ!」と答えて雇ってもらう。

仕事にありつけた喜びが全身にあふれ、汗まみれの肉体労働も楽しかった。私はフランス人の二倍は働いた。

植村直己『青春を山に賭けて』

ここでも働き者だった。
スキー場の経営者は、植村直己が病気になったとき際、入院費を払ってまで面倒をみてくれる。
誠実に努力をしているから信頼が得られる。
普通ここまでできないよなってことを、やってみせる。
そのかわり、自分が決めたことは何がなんでもやりたい。
最終的には世界初の五大陸最高峰登頂を達成する。
アマゾンをイカダで下ったりもする。
危険だからやめろと言われても絶対やる。やりたいから。

私は初志を貫徹しようと決心した。山に登るときと同じように、全精力を傾けてことを成せば、たとえ厳しい河といえども、下れないことはないと思った。私はそう決心すると、もう完全にアマゾンの虜になってしまった。

植村直己『青春を山に賭けて』

あとがきでも、文庫版あとがきでも、やってみたい!という意欲で満ちあふれている。
読んでるだけでわくわくしてくる。
やりたいと思えばやれないことはないのかもしれないと思えてくる。
そんなわけないけど、何かを勘違いさせてくれる力がある。
文章も植村直己みたいに真っ直ぐで、自惚れてもいないし見栄も張ってない。でも誇りは感じられて、とてもよかった。

しかし、いままでやってきたすべてを土台にして、さらに新しいことをやってみたいのだ。

『青春を山に賭けて』あとがき

山の経験を生かし、垂直の山から水平の極地へと、私の夢は無限にふくらんでいく。

『青春を山に賭けて』文庫版あとがき


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