日記#1 卒業式って、親のためにあるのかもしれない。

 文章に慣れるために、日記をつけようと思います。今日から始めます。


 卒業式って、親のためにあるのかもしれない。

 今日3月21日は、札幌市にある小学校の卒業式だった。私は仕事が休みだったけど、仕事で関わってた6年生が何人もいたので会いに行った。

 そこには、袴やスーツで着飾った6年生たちがたくさんいた。みんなそれはもう素敵だった。そんな6年生たちの会話を聞いていると、このあと何時から遊ぶとか、明日はどこに集合だとか、なんてことない、昨日までと変わらないものばかり。

 私は自分の卒業式を思い出した。田舎の小学校に通っていたから、中学校に行っても同級生は代わり映えしないし、後輩も、会いたい子だったら会いに行けるし、正直別に寂しくなかった記憶がある。それでも親は、喜んでくれた。

 それから早十数年、私は親の気持ちが分かった気がする。もちろん、子どもたちの親ではないわけだから、おこがましい話かもしれない。
 それでも私は、子どもたちの姿に感動したし、愛おしかった。あんなに幼くて頼りなかった彼らが、こんなにも大きくなって頼もしくなっている、それだけで、心が満たされた気がした。たった5年ほど関わった私でさえこれなんだ。そりゃあ親は泣く。大号泣間違いなし。

 卒業した本人たちは、いつもと変わらずまた明日遊ぶことなんか話してるっていうのに、大人はそこに色んな感情を抱いて、胸をいっぱいにしてる。誰の何からの卒業なんだ。一体。

卒業式って、親のためにあるのかもしれない。

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