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2.自分の思いを深掘りする重要性②

前回のコラムでは、企業には理念が必要で、それは表面的なものではなく、深いレベルでの検討が必要との話を挙げました。そしてそれは個人にも必要とも。

なぜなら、それを明らかにすることが、その人の人生にとって一番の幸せへの近道になると思うからなのです。そしてその個人の総和が企業理念を作り上げるのではないかと考えます。

ただし、「理念」とか「」という言葉はどこか崇高な響きで、抽象的で、綺麗ごとにも聞こえかねません。

なのでまず、そのベースとなってくる、自分が本当に望んでいること、
気質・価値観
というものに着目してみたいと思います。
これらは自覚しているようで、実はできていない人が多いのではないかと思います。
自分がそうだったように。

世間の”ものさし”で生きることの有益性と弊害

当たり前のことですが、人は生まれてからの経験や、見聞きする情報によって今の志向性を有していると思います。
つまり時代背景からくる社会環境によって受ける影響が大きい。
とりわけ家庭環境に既定される考え方の部分は大きく、まさに自分もその一人でした。

少し自分の過去の話をします。

ミュージシャンを目指してフリーターだった父と、お笑い芸人を目指して福島から上京してきた母との間に長男として生まれた僕。
東京中野区の風呂無し六畳一間のボロアパートで育ちました。

詳しくはまた別の機会に譲りますが、振返ると、この生育環境が自分に及ぼした影響が大きかったのです。
事あるごとに”お金がない”という理由で自分のやりたいことの選択をできなかった少年期。いつしか「絶対お金で苦労しない大人になってやる」と思い始めていました。

実はごくごく最近になって気づいたのですが、この少年期に自分の経験から身についた根源的な恐れがありました。
それは「恥ずかしい人間だと思われたくない」ということ。

それがゆえに、アイデンティティの芽生え始める中学にもなると、目立ちたがりで人から好かれたい自分へと成長していきました。

その後、高校・大学へと進学し、社会に出る頃には「絶対に勝ち組になる」とモチベーション高く息巻いている自分がいました。
就職氷河期と言われた2002年。おりしも、勝ち組・負け組という言葉が市民権を得始めていた時期でした。
まさに世間のものさしで生きようとしていた若かりし時代。

それなりに努力し、キャリアをステップアップしながら社会人生活を送ってきましたが、いつでも心のどこかに、えも言われぬ「空虚さ」が存在していたのです。

世間のものさしで生きることは、他者との比較で生きることになります。
競争意識が働き、自己成長につながる反面、何か作り物の自分で生きなければならない。
バブル期、お金持ちや中流家庭が周囲に多かった多感な時期、どうしても他者と比較してしまう自分になってしまっていました。

瞬間的な喜怒哀楽はあるものの、何か日常に100%の充実感を得られていない自分。

いつからか完全なる仕事人間となった自分は、「仕事の成功によって富と名声が得られていなければおしまいだ」というよくわからない恐怖観念と共に日々を送っていました。

自分の能力を上げるために、お金を払って自己啓発的な研修を受けてみたり、ビジネススクールに通ったり。相当な数の書籍も読みました。
自己投資のために投入した金額は、さかのぼって計算してみればまあまあいい金額です(笑)

そこで培われた人脈や学びはもちろん宝です。
でも、目的が「金を稼げる自分になる」だけだったために、結局自分自身にとっては付け焼刃な知識や表面上の思いでしか吸収ができていませんでした。

そして何か鬱々としながら時間だけ過ぎていく。
「この先俺はどうしていったらいいんだろう。。」
その不安が高まっていた時、某有名外資系生命保険会社からヘッドハンティングを受けます。
完全フルコミッション制のこの会社では、やればやっただけ報酬は青天井。
億プレーヤーもざらにいる。
「自由なお金」「自由な時間」が得られる。
断る理由はありませんでした。

優秀な学歴と社歴を持つ人材ばかりが集まるその支社は、まばゆい輝きを放っていました。
「ここで一旗揚げてやる」
そう意気込んで転職した僕は、素っ裸の自分自身と向き合うことになります。

金稼ぎだけが目的の自分。ただでさえイメージが悪く、嫌われる営業の保険マン。もちろんうまくいくわけもありませんでした。
断られ続け、足のすくむ日々。フルコミッションゆえに、うまくいかなければおのずと強制退場せざるをえない世界。
言い訳の効かない状況でした。

自分と向き合うことで見えてきたもの

おのずと自分の弱さと向き合わなければならない。
自問自答する日々が続きました。
徐々に自分自身の在り方に問題があったことに気づき始めます。
営業は”信頼”と”納得”を得られて、初めてお客様に選んでいただけることに気づき始めます。

「信頼」

この言葉を意識し始めてから徐々に業績が安定し始め、それなりに収益を得られるようになりました。
ただし、その後に待っていたのは、離婚。
結局仕事ばかりで、家庭をないがしろにしていた自分が引き起こした結果でした。

不足を見ていることで、幸せを感じられない事実

その後ご縁あって、シングルマザーだった今の奥さんと出会い再婚しました。壮絶な過去を乗り越えてきた彼女は悩める若者を救うNPOの理事長で、無償の愛を提供しているその姿に何か惹かれるものがあったのです。

そしてカウンセリングを本業とする彼女と生活を共にするにつれ、本当の自分が何を求めているのかを深く追求していくこととなります。

その結果気づいたこと。
それは、自分がお金を目的としていて、不足ばかりに目をやりがちであり、その無意識の思考に日々自分が囚われていること。人からの見られ方ばかりを気にしていて、本当の自分を生きていない
ことでした。
だから心の奥底にはいつも虚無感が付きまとっていたのです。

本当に自分が求めていることは何なのか?

遅ればせながら39歳からそこに向き合うことになりました。
もちろん今まで何度も考えてきたことではありますが、一段深く掘れていなかった。少年期の体験、そして世間のものさしに自分を委ねてきていた人生だから、「そうあるべき」という強い理想が邪魔をして、本当に自分が望む幸せに耳を傾け切れていなかったのです。

そして、自分の本当に望むもの、幸せは何なのか?という根源的な欲求を明確にしてくれたのが、「価値基準の明確化」と「使命がわかる64の質問リスト」だったのです。

次回、その具体的な手法とリストについてお伝えしたいと思います。

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