グレーヘアと名前を変えても白髪は白髪
56歳のとき、60歳になったら白髪染めをやめようと決意した。白髪染めにかける経費と時間がムダな気がしたからだ。一ヶ月に一度2時間、ラップをかぶってジッとしていなくてはならない。36歳のときからヘナで染め始めて20年、なんと480時間もわたしはラップをかぶってジッとしていた。なんというムダ。英会話の勉強でもすればいまごろペラペラだったかもしれないのに。いや、しなかったかもしれないが。
なぜわたしは白髪を染めなくてはならないと考えたのか。母は白髪を染めていたし、白髪染めしていない友人のことを「バアサンみたい」と言ったりしていた。そういうのを繰り返しているうちに、白髪=バアサンとなんとなく刷り込まれてしまったのかもしれない。
白髪染めは一度やってしまうと抜けられなくなる底なし沼に似ている。いつやめようかしらん? などと50代なかばになると考え始め、ときどき少しの間やめてみたりする。しかし黒髪(茶髪でもいいけど)に生え際の白髪と黒髪のゴマ塩髪が見え始め、1センチも伸びてくると「あなた、今日これだけ年を取りました」と、鏡の中の自分に言われている気がして打ちのめされる。ふだん自分の年をあまり意識することはないのだが、白髪は毎日わたしを現実に引き戻す。それに辟易して結局白髪染沼に戻ってしまうのだ。
だがしかし。ババくさいとか言われて白髪が忌み嫌われるのは女性の場合のみではあるまいか。
男性だとロマンスグレーとか言われてどうかするとカッコよく見える。というか、若い頃はなんかパッとしなかったヤツが白髪になってきたらなんかすげーカッコいい、みたいになる。あっ、今気づいたが、男性の白髪頭に価値があるのは単に「ハゲてない」ことにあるのかも。あああああそうだったのか。
男性の場合は薄毛、女性は白髪。どちらも見た目年寄りの代名詞だ。しかし最近、女性の白髪にはいい風が吹いてきているようだ(薄毛にはまだ吹いていないみたいでゴメンナサイ)。
女性の白髪は最近「グレーヘア」と呼ばれ「自然のままが美しい」とかSDGsとか言われ始めた。グレーヘア=意識高いみたいな雰囲気が一部地域で醸成されている。「グレーヘアのわたし」的な特集でマダム系の雑誌に白髪染をしていない人々の紹介記事なども見かける。前向きないい感じである。
しかし紹介されているのはすべて「完成形」の人だ。この人がどのように白髪染沼から脱出したのかはあまり語られない。毎日1センチ伸びた生え際の白髪に「今日もこれだけ年を取りましたよおめでとう!!」などと言われて地面にめり込むような心持ちになった的な話はいっさい紹介されない。
大切なのはそこんとこであって、完成形じゃないんだよ、わかってないなあ!! と美容室(そういう雑誌は美容室で読むから)でひとりごちたりするんだが、みなさんどうですか。
60歳になって白髪染はやめたけど、わたしはまだグレーヘアの完成形に到達していないし、毎朝鏡から自分の生え際に「今日も60歳、61歳に一日近づいたね!! おめでとう!!」と話しかけられても「ありがとう! 今日も元気で頑張るよ!」と言える心境にも達していない。わたしはまだ生え際の白髪に打ちのめされる。
しかし、再び沼には戻らないし戻りたくないから、完成形まであと一年間(約12センチ)がんばろうと思う。途中でブチ切れて坊主頭にするかもしれないが、美容師さんが全力で止めると言っていたので安心だ。
どうでもいいうんちく
ホッキョクグマの白い毛が実は透明って話をご存知でしょうか。ヒトの白髪も透明で白く見えるのは屈折の問題らしいのです。ってことはわたしの頭にホッキョクグマと同じ色の毛が生えているということです。ホッキョクグマも地球温暖化でがんばっているのだから、わたしもがんばるぞ! と言い聞かせています。
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