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母がいた-閑話

今、一件用事を済ませ、このあとの友人との約束まで少し時間が空いたのでカフェでコーヒーを飲んでいる。もう7年ほど通っているカフェで、僕はいつも「バニラ和三盆ラテ」を頼む。和三盆の優しい甘みもありながら、しっかり苦くコクのあるこのラテが、僕は好きだ。

いつもはパソコンで記事を書いているが、今日は出先でパソコンも持ってきていないので、スマホでたぷたぷ書いている。スマホで書いているからか、なんとなく日記を書いているような気分になる。これも悪くない。

noteを書き始めて、なんだかんだあっという間に記事の数が20本を越えた。週に1本でも書ければ良いな、と思っていたのだが、僕の中の母の思い出は想像以上にたくさんあったようで、次から次に浮かんでくる。忘れていたことなんかも思い出したりして、なんだか楽しい。記事を書きながら思い出すこともある。そんな時には「これどこに書こうかな、別の記事にしたほうがいいかな」と考えたりするのもワクワクする。

ありがたいことに、ひとりの人間が自分の母のことをつらつらと書いているだけの記事を読んで、「良いね」「スキ」と言ってくれる人たちがいる。本当にありがたい話だ。いやもう本当にありがとうございます。嬉しいです。

そんな反応をもらった時、僕は母を褒めてもらえているようでとても嬉しいし、母を好きでいる自分のことも受け入れてもらえているようで安心する。

母が既に他界しているということもあって、あまり人との会話の場で母の話をすることはなかった。こちらがどう捉えていても、相手にとっては「亡くなった人の話」だし、そんな話を突然されたら少し気構えてしまうというか、笑っていいのかどうかわからないだろうな、と思っていたからだ。

それがこのnoteでは、「既に他界してますよ」という前提のもと思い出を書けるので、書いていてとても気が楽だ。わざわざ居る居ないの話に触れずとも、読んでくれる人もそのつもりで読んでくれる。

こんな人がいてね、こんなことを言っていてね、それが今自分の中でこう活きているんだよー、ということを記事にしていると、自分の考え方の根底には母から教わったことが多いように感じた。それに気付けたことはとても大きかったりする。これからも何かに気付いていけると良い。


話は変わるが、この記事を読んでくれている友人から、「うちの家族はこんなに良い人たちじゃないんだよね」という話を聞いた。「親と仲良くできない自分が悪いんだろうけど」とも言っていた。

僕は「親子だから」「血を分けた家族だから」という表現があまり好きではない。親子でも合わない人は合わないし、血が繋がっていようといなかろうと、深い絆を結ぶ家族は居る。家族の形なんて人の数だけある。何が良いも悪いもないのだ。

なので、母の面白かった思い出やためになった言葉などを書いてはいるが、母親やその子供としてこうあるべきだと思っているわけではない。そりが合わず縁を切る親子も、それがお互いにとって良い選択であればそうしたほうが良いと思っているし、ましてや産んでくれた親が生きてるなら親孝行するんだよ、みたいな説教くさい事を書くつもりは一切ない。

何が言いたいかというと、僕は「自分を産んでくれた母はこんなにすばらしい人だったんです」という美談を書いて周りに親孝行をさせたいわけではなく、「たまたま僕を産んだ母という人は、こんな多面性を持っていて面白い人だったことを忘れたくないし、せっかくだから聞いてよ」という気持ちで書いている、ということだ。

友人に「良い親子だね」と言われるのは嬉しいし、彼が親御さんと仲良くしたいと思っているのならそうなれると良いねと応援もするが、個人の感情抜きに仲良くしなければならないとは思っていない。義務ではなくあくまで選択肢の一つなのだ。その事を伝えると、友人は納得してくれて、家族との向き合い方を考え直してみるとスッキリした顔になっていた。伝わってよかった。

なので、僕が今後続けて書いていくであろう「母がいた」という話は、おもろいおばちゃんがおったんやで、というだけの話だ。誰かの家族観を否定したり口を出したりするつもりはないので、気が向いたら読んでくれればいいし、何か嫌な気持ちになってしまうならそっと閉じてね、という事をここに書いておく。

なんだかんだで説教くさい話になってしまった気がする。すまねえ世界。カップの氷も溶けてしまった。そろそろ約束の時間になりそうなので、行ってきます。また書きます。

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