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母がいた-22

今日、友人と映画を観にいった。台湾ホラーの「呪葬」という映画だ。幼い娘を一人で育てる母親(主人公)が、とある事情で長い間疎遠だった実家を訪ねると不可解な現象に襲われ….という感じのストーリー。ジャンプスケア(びっくり演出)が盛りだくさんで、複数人で観るにはちょうど良い感じの映画だった。

実家に帰るといえば、こんな話を思い出した。母の実家は当時住んでいた福岡市内の家から車で2時間ほど。今は新道が開通して1時間強で行けるようになったが、当時は曲がりくねった峠道を通る必要があった。

僕はこの峠道が嫌いだった。グネグネしていて気を抜くとすぐに車酔いしてしまうし、行きはまだ明るくてきれいな景色が広がっているのに帰りには真っ暗になっていてとても怖かった。しかも峠の中腹あたりにはデカい仏像がデデンと建っているのだ。その仏像があんまり怖いものだから、夜にその前を通るときはいつも大声で童謡などを歌っていた。母や姉にも付き合ってもらって。

ある時、実家からの帰りに母を怒らせてしまったことがある。理由はもう忘れてしまったけど、割とくだらない理由だったと思う。母はもう辛抱ならんという様子で、車を運転する父に「仏像前で停めて!」と言った。言われるがまま路肩に寄せる父。僕は嫌な予感がしたし、直後その予感は的中した。

「あんたここで降りなさい」

母曰く、そんな悪い子は夜の仏像に叱ってもらう、というのだ。そんなご無体な。僕は必死にシートベルトにしがみついて抵抗するも、豆タンクのような母の力には敵わず車から引きずり降ろされる。

もうこの時点でギャン泣きしていたのだが、そんな僕を置き去りに母はツカツカと車に戻りバタムとドアを閉め、そのまま車は走り去っていった。内心「こんなところに子供一人置いてはいかないだろう」とたかをくくっていた僕は絶望する。

ありえない。これが親のすることか。と憤っていた僕も、時間が経つにつれて少しずつ恐怖に飲み込まれていった。先の見えない曲がりくねった峠道、背後に気配を感じるデカい仏像。ざわざわと風に揺れる木々。

「おかあさん」と小さい声で呼んでみても、返事はない。風の音にかき消されてしまう。どんどん心細くなっていった僕は、いつの間にかしゃがみこんで泣いていた。こんなことならお母さんを怒らせるんじゃなかったと、自分のつまらない意地を心から悔いた。

すると前方から眩い光がカッと差した。光の中に人影がある。逆光で見えないけれど、きっとあれは人さらいだ。このまま僕は売られて、知らない異国の地でサーカスの見世物にされるんだ。本気でそう思ってもう一度「おかあさん」というと、「はいおかあさんです」と人影が言った。母だった。

母を乗せた車は5メートルかそこら下ったところで路肩に寄せて停まり、ライトを消して僕の様子を見守っていたのだ。僕が思い切り反省したところでハイビームに照らされて母登場、というシナリオだった。

絶望と恐怖から一転、安堵に包まれた僕は母に抱きつき腹の底から泣いた。たしかこのとき気が緩んでちょっとだけおしっこを漏らした記憶がある。はずかしい。

そのまま泣き疲れて寝てしまった僕は、気付くと家の駐車場で父に抱えられていた。それが心地よかったので、寝たふりをしながらベッドまで運んでもらう。布団にくるまりながら、もうお母さんを怒らせるのはやめよう、と固く誓った夜だった。まあその翌日また怒られたりしたのだが。

こうして振り返ってみると、いくらなんでもやりすぎじゃない?夜の峠道にちびっこひとり残して去る??鬼かなんか??とも思うが、32歳になった今でもこうして思い出せることがちょっと嬉しかったりもする。いやそれにしたってやりすぎだけどね。許さんよほんま。

そんな話を、実家ホラー(?)を観ながら思い出した。怖くて情けないけど、なんだかんだで大切な思い出だった。

叱るときは思い切り叱り
その反動で猛烈に甘やかす
飴と鞭を完璧につかいこなした
そんな、母がいた。

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