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母がいた-17

今日、知人の経営するゲイバーが7周年を迎えるらしい。Twitter(なんか意地でもXって言いたくない。頑固?)でその情報を今しがた見かけたので、このあと飲みに行くつもりだ。賑やかだろうな。覚悟して行こう。

母はお酒の強い人で、飲むのも好きな人だったが、家ではあまりお酒を飲まなかった。晩酌をするのはいつも父で、母はそれを見ながら砂糖を大量に入れたコーヒーを飲んでいた気がする。

母のお酒の強さに関しては下記に書いたので、今回は割愛。

最初に晩酌をしないと書いたが、そんな母が家でお酒を飲むことが何度かあった。それは決まって母が落ち込んでいる時だった。家族が寝静まった夜中に、ひとりリビングのテーブルに腰かけてグラスを傾けていた。

トイレに起きたりなんとなく目が覚めて、そんな母を見かけたとき、僕は「大丈夫?」ではなく「なにがあったの」と聞くようにしていた。大丈夫かと聞くと、母は大丈夫、と言ってしまう人だったからだ。

普段母は人の相談を聞くことはとても多かったけれど、自分の愚痴や弱音を吐かない人だった。誰かの負担になることを嫌っていたような節がある。そんな母が、当時まだ幼かった僕にはあまり気兼ねせずに話をしてくれた。仕事で大変だったことや、友人が亡くなってしまったこと、親族との問題がこじれそうなこと。小さい僕は母の話している言葉の意味がわからなかったので、適切な相槌もうてなければ、ましてや良いアドバイスを残すことなんて当然できなかったが、「うん」と答えているだけで、母は少し落ち着いていくように見えた。

大人になるにつれて知ったことのひとつに、誰かに話すということは事実を客観的に並べることであり、全体を俯瞰してみる良いきっかけになるものだ、というのがある。感情的になっていても、冷静に自分を客観視することができる。たぶん母も、意味が分からないなりに真剣に聞いている僕に対して話をしながら、心の整理をつけていたのだと思う。

母の影響かどうかはわからないが、僕も人の相談は聞くくせに誰かに愚痴や弱音を吐くことには抵抗を覚える大人になってしまった。そんなところは似なくてよいのに。誰にも話さず自分の中で抱え込んだり、ひとりで考えた結果必要以上に落ち込んだりしてしまうことが多い。

ただ、最近になって少し、そういう話をしてもいいんだと思えるようになってきた。誰かに腹を見せるというとなんだか微妙な感じがするが、とにかく悩みやネガティブに考えていることを打ち明けられるようになっている。というより、話を聞いてくれる人が周りに増えたのだ。

以前からの友人も、話せばきっと親身になって聞いてくれる人たちばかりだったけど、ここ数年で出来た友人にはそういう話を引き出すのが得意な人が多いような気がする。

そんな友人たちにああでもないこうでもないと思いのたけをぶちまけていると、ああ母もこんな気持ちだったのか、と気付いた。少し前に書いたように、誰かに話すことで整理をつけている感覚があった。

そう思ったときに、お酒の力もあっただろうけど、幼い自分が少しは母の気持ちを穏やかにする手伝いが出来ていたのかもしれない、と感じた。そうならいいな、と思った。これからは自分の弱いところも人に見せながら、同じくらい誰かの気持ちを穏やかにできるといい。そうなれるといい。それではお酒を飲みに行ってきます。おめでとうって言いながら、たくさん話をしに。

ひとりでお酒を飲みながら
幼い息子が来たらいいなと
思っていたかもしれない
そんな、母がいた。

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