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母がいた

母がいた。

体格が良い、というよりまんまると太っていて、何よりも食べることが好きな人だった。それと同じくらい食べさせることも好きな人で、食卓に並ぶのは大皿に山盛りのおかず。母の料理は大変おいしく、家族以外にも多くのファンがいる程の味だった。母の作る料理はいつも食べきれないほどの量が盛られ、食後のお皿にはおかずが余っていた。

毎回なぜ食べきれないほどの量を作るのか不思議に思っていたが、きっと、というより絶対、自身の夜食にしていた。そのための山盛り。はじめから余ることを前提とした量だったのだ。それくらい食べることが好きな人だった。

そんな母の名前は「富美」と書いて「ふみ」と読む。ただ、僕には「ふみ」と呼ばれている母の記憶がほとんどない。母は親しい人に「ちゃんこ」と呼ばれていたからだ。ちゃんこ。相撲部屋で提供される料理の総称のあれである。体格だけでなく、料理上手で豪快で、愛嬌のある人柄にもマッチした呼び名だった。ちゃんこ、と呼ばれて、ほいほい、とおどけて振り返る姿を覚えている。

母が他界して15年。僕は30代になった。いつでも鮮明に思い返せていた母の記憶が、少しずつ薄れていくのを感じている。いつか思い出せなくなる日が来ると、なんとなくわかっている。よく笑う人だった。いたずら好きな人だった。愛される人だった。

本当に思い出せなくなってしまう前に書き残しておこうと思い、パソコンを開いた。これからたまに、母の事を書いていく。そういえば母が僕を産んだのは、今の僕と同じ32歳の時だった。

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