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母がいた-11

僕はいま毎日飲んでいる薬がある。あるのだけど、薬の飲み方というか錠剤の出し方がなんか雑だ。1列2個の錠剤が綺麗に並べられた薬のシートの、上から順にひとつずつ出せばよいのに、3段目の右から出してみたり、5列目の左から出してみたりする。おかげで薬のシートはいつもビンゴカードのように虫食いになっている。他の人がどうかは聞いたことがないので分からないが、そういう、変に雑なところが、僕にはある。

小さいころ、僕はマイペースな子どもだった。いや、ちょっと良く言い過ぎですねこれは。それはもう変な子どもだった。まあ平たく言えば注意力にかける子ども。興味の対象が移りやすいというか、落ち着きのない子ども。ちょうちょを追いかけていたかと思えば地面を掘っていて、次の瞬間には雑草をちぎっている。そんな子どもだった。

幼稚園や家にいる間は保母さんや母の目があったので、落ち着きがないなりに穏やかな生活を送っていたのだが、僕が小学校に入学してからはたびたび母に迷惑をかけた記憶がある。

小学校の入学式の日。たしか親御さん同伴での登校をしてください、と言われていたのだが、珍しく寝坊した母はクローゼットの中身と格闘していた。スーツの1着でも着てさっさと出れば良いやろがいと思うかもしれないが、その日母は保護者代表のスピーチを頼まれていて、気合の入った着物を着ていく予定だったのだ。

というのも僕と姉は歳がちょうど6つ離れており、姉の入学から卒業まで6年間PTAに所属していた母は、これからまた6年間保護者として小学校と関わり、計12年PTAにいるのなら保護者代表として話してもらおう、ということになっていたのだ。

そんな事情もあって、原稿や書類などの用意も控えている中、襦袢を羽織りながら「だいすけ、ちょっと先に行ってて!」と叫ぶに至ったのだった。着付けには慣れている母だったが、焦りもあってかドッタンバッタン転げまわり、とてもすぐには終わりそうになかった。

僕は母のいう通りランドセルを背負い家を出る。当時住んでいた家と小学校は歩いてすぐの距離だったし、よく姉と遊んでいたので小学校には行き慣れていた。だから母が僕を先に行かせたのも納得だ。だが、その日はいつもと違い、僕はひとりだったのだ。探検の始まりである。

冒頭でも書いた通り、僕は注意力散漫な子どもだったので、すぐそこにある小学校への道のりはとてもとても長いものになった。横断歩道のボタンを連打して遊んだり、近道の垣根をくぐりながら葉っぱを50枚ちぎったり、アリの行列を端まで追いかけたりした。変な子。いや僕なんですけどね。そんなことをしていても、母はまだ来ない。

なんとか小学校が見えるあたりまで進んだ。そのまま校門をくぐれば万事うまくいったのに、僕はそこであるものを見つけてしまった。

カエルだ。田んぼ沿いの道にデカいカエルがいる。見たことない大きさ。とても煌めいて見える。小学校の門はすぐそこなのに、僕はカエルを眺めることにした。母は、まだ来ない。

それにしてもデカい。つるつるで、テカテカで、おもしろい。指でぷにっと押すと、ぴょんと跳ねる。たいへんおもしろい。当時わりと仏頂面だった小学生ぼくも、これにはニッコリ。

ぷに。ぴょん。ぷに。ぴょん。僕は飛び跳ねるカエルをうんこ座りで触りながら追いかける。いい加減イラついたのか、触られたカエルが大きく跳ねた。逃がしてはならない。僕もカエルに合わせて大きく大きく飛んだ。

――――それから数十分後、母は何とか準備を済ませて学校に着いていた。忘れ物はないし、着物は完璧にキマっているし、遅刻もしなかった。スピーチの内容もバッチリ。胸を張って落ち着いた様子で廊下を歩き、校長室へ挨拶に向かう。

「失礼します。」今日大勢の前でスピーチをする完璧な保護者としてドアを開けた母は、次の瞬間、膝から崩れ落ちた。

目の前には、困惑した表情の校長と、苦笑いしている保健室の先生と、全身泥だらけになった僕がいた。

僕は、大きく跳ねたカエルを逃がさないよう大きく飛んで、カエルと一緒に田んぼに落ちていた。おなかの深さまで田んぼにハマって。なんとか抜け出そうともがくうちに、髪の毛やランドセルまでドロドロにして、僕は田んぼを脱出した。

「一旦帰れよ」とこれを読んでいる全員に言われてしまいそうだし自分でもそう思うが、僕は準備に追われる母の手を煩わせないように気を利かせたつもりであり、そのまま学校へ向かい、到着してすぐ先生たちに「どうしたのそれ!?」と囲まれたのだった。

事情を聞いて先生たちへ丁寧にお詫びの言葉を述べたあと、泥だらけの僕を見据えた母は、いよいよ堪え切れなかったようで大笑いした。先生たちの反応からてっきり怒られると思っていた僕はなんだか拍子抜けして、母と一緒にケラケラ笑った。

「あーおもしろい。いいよいいよ、あんたそのまま入学式出んしゃい。あっでも着物が汚れるけん離れてね」と言われ、「僕より着物が大事なんかい」と思いながら結局着替えずに入学式に出席した。

入学式は滞りなく執り行われ、母も問題なくスピーチを終えた。僕はというと、綺麗な服を着た周りの子どもたちと一緒に乾いた泥をポロポロ取る作業に没頭していたので、母のスピーチの内容は全く聞いていなかった。すまんね。

それから短いホームルームを終えて、子どもたちは保護者と一緒に帰り始めた。みんな綺麗な服を着て、小さな花束を片手に歩いている。母と手をつないで廊下を歩いている間、僕は急に自分が泥だらけなことが恥ずかしくなって、母に「ごめんね、どろどろで」と謝った。

母は「大丈夫、おもしろかったし。あー笑った笑った。帰ったらお姉ちゃんとパパにもこの話しようね。でも着物が汚れるけんもう少し離れて」と背中に残っている泥をとってくれた。着物めっちゃ大事やん。いや今ならわかるけど。

僕は変わった子どもだった。落ち着きがなく、人とは違うことに熱中して、歩幅を合わせることのできない子どもだった。大人になるまで周囲との摩擦は少なからずあったし、生きづらいと思ったこともあった。それでも窮屈な思いをせず育つことができたのは、母の器の大きさのおかげだったように思う。

僕は32歳になった。今でも人と違う部分は多い気がする。子どものころより周囲に合わせることができるようになっただけで、根っこの部分はあまり変わっていない。要するに変なおっちゃんだ。変なおっちゃんだけど、母の「大丈夫、おもしろかったし」が、ちょっと生きづらい僕の背中の泥をとってくれている。そんなことを、ビンゴカードのように穴が開いた薬のシートをみて思い出した。

着物を凛と着こなして
泥だらけの子どもと笑い
大きな器で誰かを包んだ
そんな、母がいた。

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