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引退勧告

〜ホノルル発〜

先々週のことだ。娘を学校に送り届けてから家に戻る途中、信号待ちで2度「ブッスン」と車のエンジンが止まりかけた。

そのあとアクセルを踏むたびにガクンガクンとなり、家に到着するまで冷や汗タラタラだった。

いつもお世話になっている車の整備士さんに連絡したら、その日の夕方にチェックしに来てくれた。

エンジンをかけては止め、あちこちチェックしていた整備士のおじさん、いつもの穏やかな顔が、今日はどことなく険しい。

「もう何年乗ってるんだっけ?」

「ちょうど22年です」

う〜んと唸って空を見上げたあと、「もう十分がんばったよ。引退させてあげなさい」とおじさんは言った。

「ついにこのときが…」の納得と、「えー!?今失業中なんだけどー!」のショックとで、笑うしかなかった。


ホノルルの新聞社に就職した1998年に購入した。黒の2ドアのトヨタRav4。ソフトトップのモデルは米国内でもかなり珍しいらしい。「それはカスタムデザインなの?」とか「売るときはぜひ教えて」などと、見知らぬ人からよく声をかけられた。


しかもこれまでほぼトラブル知らず。クリスマスイブに車上荒らしに遭ったり、姪っ子がホノルルに到着した朝にタイヤがパンクしたり、歯科医院の駐車場の柱にぶつけたり(これは私のミスだけど)、何度か不運に見舞われもしたが、車の不具合ではなかった。


数年前から、運転に支障は来さない程度の不具合が出はじめた。何度かエアコンが効かなくなり、整備士さんから「今回はいよいよ修理かな」と言われながらも、冷却液の交換で乗り切ってきた。


故障といえば、8年前だったか、あれは夕方の帰宅ラッシュで混雑するチャイナタウンの信号待ち、3車線の真ん中で、Rav4は突如エンストした。

もう必死でなんどもエンジンをかけ直し、やっとのことでガクガクと動きだすと、暴走族なみにエンジンをブンブンとふかして、そのまま修理屋に飛び込んで急場をしのいだ。(結局バッテリー交換だけで済んだのだった)


1年ほど前には、エアコンを付けながら走ると、アクセルを踏み込むたびに「ガックン」となる珍現象で、観光案内した日本からの友人に大変怖い思いをさせてしまった。その後、整備士さんがチャチャっと何かやったら直ってしまったけど。


さんざんそんなことがあってから、ようやく気づいた。


私のRav4は生きている。


私の話を、私の心のつぶやきを聞いている…そうに違いない。


思えばRav4に不調が生じるのは、「車の買い替えどきかな」と家族に言ったり、「次はあの車がいいな」と思ったりしたときだ。


ベンツのステーションワゴンが格安で売りに出されていて、かなり本気で購入を考えていたとき、あのチャイナタウンでの恐怖のエンストトラブルに見舞われた。1年前の「ガックン」の時は、夫が車の修理中に1週間乗っていた代車のスバル「フォレスター」を私は大層気に入り、「次はスバルを買おう」と声高らかに宣言していた気がする。


そして、翻訳家でエッセイストの村井理子さんのツイッターのつぶやきを読んで、Rav4が生きていることを確信した。


村井さんは、20年以上乗っている愛車が故障したとき、やってきたJAFの方に「この前、この車も相当乗ったから、そろそろ買い替えかねって言ってたんですよね」と告白したそうだ。すると「ああ、それは車に聞かれてしもたかもしれないですねえ」と言われたそうだ。


このつぶやきを夏ごろに目にし、以来運転のたびに「イイ子だね」「ホントにえらいね」と褒め、「もう少し頑張ってね」とダッシュボードをさすっていた。


でも寿命には逆らえなかったらしい。


失業中の厳しいときに車が使えなくなったことはショックだが、22年も連れ添ったかわいい相棒と一緒に、友だちを乗せてオアフ島を一周することも、コストコに買い物に行くことも、マクドナルドのドライブスルーでモカフラッペを注文することも、もうできないのが悲しすぎる。さびしすぎる。


でもさ、これだけ頑張ってくれたんだから、やっぱり「お疲れさまでした。今まで本当にありがとう」。

そう言わなきゃ、だよね。(でもイヤだわ〜)

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