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山窩(サンカ)(日常の不思議ファイル 42)

山窩(サンカ)は、日本に住む国籍を持たない人々です。
一説には、大和朝廷の支配を嫌って別れた古い部族集団と言われています。

山窩(サンカ)は山野を高速で移動し、定住せず、
独特の文字と文化をを持っていると言われていますが、

正確な数も分からないし、学校や病院などとは無縁で
一般的な日本国民とは全く違う生活をしているとしか分からないようです。

それでも山窩に関するわずかな写真が残っています。
その中に、山窩独特の白い帆のようなテントの写真を見たことがあります。

それを見た時、既視感があったのですが、
のちに思い出しました。

私は20代に、オフロードバイクに夢中になっていたのですが
オフロードバイクのクラブに入って
毎週、山の中の舗装されていない道路(オフロード)を走り回っていました。

そんなある日、いつもみんなの後をついていくのがやっとだったのですが
たぶん那須の方面だったと思います、

木一本生えていない赤茶けた広い斜面をバイクで横切っている時でした、
そこに小川のような川が流れていて
そのそばに山小屋のような感じでおじさんが七輪で何か焼いていました。

バイク仲間の何人かは

「おじさん、これは何?」

「いくら?」

と聞いていました。

サンショウウオを焼いているのです。
それを聞いて結構衝撃をうけました。サンショウウオ???
何人かはお金を払ってその焼いたサンショウウオを食べてました。

口数の少ないおじさん
登山する人どころか、絶対誰も通らなそうな場所で

なぜあんなテントのようなものを張って商売していたのか
長年とても不思議に思っていたのですが

山窩(サンカ)のテントの写真をみて
ようやく腑に落ちました。

あれはきっと山窩のテントだったのでしょう。
いつの間にか山窩と出会っていたのですね。

私の友人で山に近いところの出身の男性がいたのですが
1980年生まれだというのに、
なんと馬で山を越えた所の小学校に通ったというのです。(ほんとかなぁ)

その彼が子供の頃、家の納屋の前で遊んでいると、
ズザザザザザザザー!っと降りてきたおじさんが
あっという間にまた竹藪の中に消えていったのだそうです。

また、近くの鬼怒川が流れているのですが
彼が小学校5年生の時、河原で友達と遊んでいると
上流からおじさんが流れてきて川から上がってきたので
皆で石を投げたら逃げて行った、という話をしていました。

たぶんそれも山窩(サンカ)ではなかったのかなぁと思っています。


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