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自分の中に潜んでいた差別的思考

 私はよく、道端で人に話しかけられます。道を聞かれたり、頼みごとをされたり、理由は様々です。以前コロンビアに留学していた際もそれは同じで、「なんで他に道知ってそうな人たくさんいるのに、よりによって外国人の私に話しかけてくるんだろう」と、すごく不思議に思っていました。

 でも最近、この意識自体に人種差別の意識が潜んでいたことに気が付きました。彼らが私に話しかけたのは、そもそもコロンビア人か外国人かを、見た目だけで判断する習慣がないからだと思います。一方で私は、そういう習慣を無意識に持っていました。だから、完全に「アジア人顔」である私が道を聞かれることに違和感を覚えたのです。

 このことに気づいたのは、ある記事がきっかけでした。『なんで外国人のわたしに道を聞くの?日常に転がる差別的思考』というフリーライターの雨宮紫苑さんの記事です。人種差別というのはいつも悪の意識ではないということに気が付かされました。

 私がこの記事を読んでから、自分の中でかみ砕くまでに長い時間がかかりました。自分の中に人種差別的な思考があったなんて信じたくもなかったからです。

 しかし、文化圏や教育によって、無意識にそういう考え方が形成されてしまうのは誰にでもあることだと思います。ですから、そうなってしまったことを責めるのではなく、自分が差別する側になり得ること、特権階級にいること、優遇されていること、これらの事実を受け入れることが、人種差別問題を含む様々な社会問題を解決する最初のステップだと考えています。

 知らなかったことを恥ずかしがる必要も、過去の自分を責める必要もありません。単純にそのことを事実として受け入れ、そこに存在する問題を認めることが、解決の第一歩なのだと思います。

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