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味のないガムからの卒業

我が家はほぼ毎晩、その日あった出来事やそこから感じたこと、考えたこと、閃いたことなどをシェアする「反省会」がありまして。

これは「はーい、今から反省会始めるよ」という合図から始まる堅いものではなくて、どちらからともなく「今日こんなことがあってね~」とか「今日こんなこと思ったんだけどー」と話し始めて、一日を振り返りながらお互いに意見を言い合ったり、そのうち寝ちゃったり、話に夢中になって気づいたら朝になっていたりします。笑

でも結婚後ずっと続いてる、いつの間にか当たり前になった習慣…

もちろん片方か両方が眠くて反省会が始まる前に寝てしまう日もざらにあるんだけど、「反省会」は毎回私にとってなにかしらの気づきや学びを得られる機会なんです。
そして今日8月2日の深夜1:00、いつものように始まった「反省会」が私にとって今までの中で群を抜いて印象的な回になるとは、このときはまだ予想もしていなかった・・・(深刻そうな語り口調)

その日私は今後ライターやPRのお仕事を増やしていくために、いま入っているオンラインサロンや新しく加入したライターチームでの活動をどうしたらより活かせるか、そのために今磨きたいスキルの話などを旦那さんに考えたままに語っていた。

もともと「質問力」や「取材のスキル」(要はヒアリングのスキル)をもっと磨きたいと思っていた私は、旦那さんと話していくうちに「コンテンツを面白くできる人」について考える時間に。
この後旦那さんから放たれるナイフのような言葉にメンタルをやられ、そしてそれが自分の殻を破るビッグチャンスになるとはまだ知らずに、まあペラペラと話していました(ovo)b

そして、旦那さんから言われたのはこんな意見
・ほのかさんの文章は堅いよね
→傍から見るとつまらないし、正直味気ない⇒1hit
→それは書いてる人のキャラが見えないからで⇒1hit
→例えると、「味のないガム」みたい!⇒1hit

\(3combo‼)/

…泣く。控えめに言って泣く。
それも割と号泣な謝罪会見くらいの勢いで「そんなこと言われましてもほっほんっほおおん!!!!」って心の中でシャウトしてる自分がいた。

もともと私が書く文章はTwitterでもどこでも、どちらかというと堅い印象で、気分とかで変わることは基本的になかったんです。
だから「もしかしたらつまらないかも」と薄々感じてはいたものの、自分の性格上あんまりふざけることもなく、いざやってみようとしても程度がわからなくて(溢れ出る不器用さ)。

また旦那さんからはこうも言われました。
あなたは真面目な性格。だから他者に対しても真面目な対応で、むしろ丁寧すぎ、真面目過ぎ。丁寧なのは悪いことじゃないんだけど、丁寧すぎても相手はあなたに対して壁を感じやすいんだよ。今のところ、「失礼がないように」って意識しすぎて面白みも親近感もない。・・・ふふ。笑

はい号泣。自称メンタル豆腐の21歳、無事メンタルにダメージを受けました。とりあえず救急車を呼んでください。あとふふってなんだ。ふふって。

自分自身「そこまで言わせるほどの文章を書いてるとは…」と自覚が全くないのです。ただ自分の書きたいように書いたら、なぜか毎回堅くなっちゃう。言葉選びから読み取れるキャラも人柄も、人間味が薄くてあまり見えない。きっと文章を書くにしても、誰かと話すときでも関係なく前提にあるのは「まず失礼なことはしない。礼儀正しく接する」という自分のなかにいつのまにかあったマイルールだったのでは?

でも今そのルールが自分を苦しめている、自分の強みとして働いていないわけで。
そんなルール、今も持っている意味あるのかな?
心の中でそう自問自答しながら、そもそもそのルールを作るきっかけになったのはいつだっけ?と過去を振り返ってみた。
真っ先に思い浮かんだのは、中学の頃の部活動。

中学3年間、私は全国大会出場が当たり前とされていた卓球の強豪校に入学、そして「卓球好きだから」という安易な気持ちで、初心者ながら卓球部に入部した。
そこでは厳しい先生方と外部コーチがいて、その中でも外部コーチによる体罰は本当に怖かった。女子部員にも容赦なく行われる往復ビンタ(特に裏手でのビンタはわざと手を少し丸めて骨を出してビンタするのでかなり痛い)、保護者もそれをありがたがっているという現代教育では確実に叩かれるであろう実態…
幸い私は三年間で往復ビンタをいただくことはなく、せいぜい丸めた新聞紙で頭を叩かれるくらいだったが、そのコーチがいる練習や大会で試合が終わり、コーチのもとへ行く度に、ビンタされるかもしれない恐怖と闘っていた。
その先生がビンタをする判断基準になっていたのは二つ。

1,試合で手を抜く(相手を見下したように見えるプレーをする)
2,顧問やコーチのアドバイスを真剣に聞かない(よそ見しているとか)

そう、二つとも「礼儀正しく」「失礼なことはしない」ことを重んじていたんです。相手への敬意や感謝を伝える手段として「失礼な対応」を徹底的になくし、「礼儀正しい対応」を重視していました。

「自分の性格はこの3年間で形成された!」と明言はできないけど、私の中で人生で一番「必死に生きた時期」は中学時代だったかもしれない。あの頃の記憶はかなり今も鮮明に残っているから。

きっと当時はそれが自分にとって生き抜く術だったんだろう。

でも今はそこまで敏感になる必要はないんだよね。常に失礼がないように、嫌な気分にさせないようにって、誰かと関わるときにすごく気にしちゃう自分を、もう少し緩めて、やっていきたいなあ。

と、この反省会がきっかけで、私は他者に対して丁寧すぎる自分、つまり味のないガムから卒業しようと思った、という話です。
これからは、今まで重視していた「礼儀」と同じくらい相手への「好意」を伝えよう。もっと楽に生きよう。自分から楽しんで、もっとふざけよう。とりあえず、うぇーいってやろう。


P.S.こうやって自分の性格のルーツを掘り下げるだけ掘り下げて、今もそれが必要かどうかを見直してみるのもいいのかもしれないね。


P.SのP.S

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