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アイデンティティを失うと人はどうなる?

前回の記事に書いていますが、私のアイデンティティに岡本太郎、ゴッホ 、ピカソが存在していました。

私はこの2年ほど、自分を失い、被害者意識全開の闇に陥っていました。

私は今まで、他人と本気で関わったことがありませんでした。たくさんの人と恋愛はしてきたけれど、それはただの恋。愛ではなかった。

「愛する」ということに40歳を目前とした今、葛藤しています。

そんな自分の問題を見つめれば見つめるほどに、あまりの人としての至らなさとか自分のことしか考えていないことが明るみになるので、その現実から逃げたくなる。

もちろん逃げられるはずもなく、それでも逃げようとする自分を正当化するためには、誰かを敵にしなくてはいけない。私に全力で向き合ってくれる旦那さんがターゲットになり、怒りと憎しみをこれでもか!というほどにぶつけ続けました。

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今年の夏、2017年に結婚し、2018年に出産して以来、帰省以外では一度も実現していない「家族5人で夏休みにどこかへ出かける計画」を旦那さんが計画してくれました。私の失ったアイデンティティを取り戻すため、また絵画や物作りに適性がある長女のため、「岡本太郎展に行こう」と提案してくれて、日取りを決めました。

その頃、私たちは衝突を繰り返している時。だからこそ旦那さんは私が本来の自分を思い出してほしい、失ったアイデンティティを取り戻して欲しい、そして長女にも刺激になるだろう岡本太郎を選択してくれたのです。

その思いも想像できなかった私は、この状況で家族でいくのは気まづいし・・・と否定的な気持ちになり、彼に相談することなく、子どもの友達に誘われたプールに行くことを約束し、岡本太郎展へは中止することを勝手に決めてしまいました。

今、改めて考えると、自分自身のアイデンティティを失っていたから、岡本太郎という影響を受けた人さえも受け入れ難くなっていたのだと思います。今の自分が同じアイデンティティを持っているとは到底言えない状態だから。

その現実からまた逃げたくて、この状況で家族で出かけるのは今は気まづいとか、夏休みも最後でプールのチャンスも最後とか、言い訳と正当化をしたのだと思います。せめて相談することは最低限必要なことで、相手のことを考えているのならば。

それなのに、どうして私の気持ちもわかってくれないんだろう、どうして逃げたいという気持ちの私を肯定してくれないんだ、と主張し続けたわけです。

彼はそんな私を受け入れることは愛ではないと、強い意思で向き合い続けてくれました。でも私はそれが理解したくなかった。安易な自己肯定が問題だと言い続けてきたのに。他人を見ればそう思うのに、当事者になると自己正当化しだしたわけです。

自分のアイデンティティが崩れると、他人を受け入れることは出来ないのだと思います。自分のことばかりになっていく。それは当然、愛ではないですね。

その意識が、症状の根本原因となると考えています。

意識も対症療法ではなく、根本解決を目指すために。タイムウェーバー セッションを行なっています。



今回の記事に関連する、旦那さんのブログ記事です。



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