東茶屋街

自己の欲求、他者の欲求

自分が「おもしろい!」と思うものを
他の人が同じように思ってくれるか分からなくて自信がない。

なんて、そんな風に思っていたけれど、
そしてそれについて記事を書こうとしていたら

「なぜ他の人にもおもしろいと思ってもらう必要があるのか」

という問いが生まれた。

確かに。

おもしろいもんだなぁ、自分の悩みを自分で瞬時に解決してしまった。

とはいえ、他の人にもおもしろいと思ってもらえるようなものを作るとか、場合によっては必要となってくることだと思うんですけどね。

***

最近考えていることがあって。
それは「自分で選択する」ということについて。

普段何気なく、他の人の満足度を考えてしまう癖があるようで。

相手が楽しそうであるか、それが一番大事だから
自分がどうしたいかという思いは流しがちだったなぁと

でも、相手が楽しそうにしていたら、別に自分の欲求を満たさなくても満たされる。よかったなぁと思うし、相手の選択に合わせることで、自分になかった視点が得られたり、その中におもしろさを見いだせるときが少なからずあって。言葉を変えれば、ただ人に合わせることで傷つくこととか、どこか自分から逃げてるだけなんですけど、、

苦しいなと思ったことは全然なかったのです。

今もそれは変わらずなのですが、一つ気づいたことがありまして。
最近、私の周りには「どうしたい?」とか「何がしたい?」とか、私のことを分かってそう問いかけてくれる人がいるということです。

ありがたいなぁと感じるばかりです。
そんな人の前にいる自分は、苦しいなと思うことがなかったとしても、それでいても普段よりリラックスできているというか、自然でいられるなぁと。

自分のことも、もっと大事にしよう。
休学を始めて、自分でコントロールする時間も、
選択するものの数もぐっと増えた今、強くそう思います。

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