蒸し返すこと、について
おはようございます、今朝はいつものとおりに早起きです。なかなかね、こう、すっきりするようで、もやっとするようで、まあ、サラリーマン日常というやつです。あっちを足せばこっちが足りない、こっちを足せば、あちらが足りない。まあ、そういうわけで、今回もそのあたりのはなしな訳ですが、蒸し返す、というのがありますね。いちど何らかのことが起こって、そこでしまいにすればいいのを、さらに蒸し返す。ことばにしてしまう、そこから己や周りを煽ってしまって、事態をより、厄介なものにしてしまう。
現実の世界というのを、すこし、二元的に見過ぎていると、蒸し返すということをしてしまうようにも、いまの私は思います。こっちが正しくて、あっちが間違っている、こっちが黒で、あっちは白だ。とかね、そうしてみると、どうしたって、蒸し返す訳です、それで、もうそこで止めておけばいいものが加熱する、まあ、人間関係あるあるです。で、これはウパニシャッド哲学の考え方なんですが、ものにせよ、ひとにせよ、三元論で出来ているとした、すなわち「火、水、食物」という。ああ、これなんかは、古代の精神分析だなとも、私なんかはおもうわけです。
二元的にではなく、三元からなっているということで、なんというか、底辺と頂点が出来ますから、まあ、そこでぺたりと安定する。蒸し返すことをなかなかせんようになりますな。そうすると、物事っていうのは、たいてい、大げさなことにはならんのですよ。まあ、たまにはありますよ、大変な事態ってやつも。でもそれはね、もっと上っていうかな、偉いさんが考えることでもあってね、こう、ある意味現場の人間が考え得るものでもない。現場の我々としては、ともかく、何か問題が起こればそれに対応する、そこから生じる、恨み辛みのようなものは、とりあえず「ピタッと止めて、蒸し返さない」これが出来れば十分かと、おもうんですよね。
さて、今日の一冊は、インド哲学について
もっと深く入りたい方は
では、また明日。
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