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朝、一人で生まれ直すという苦行

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもねむ」という歌があるように、夜というのは一般的には誰かを思ってさみしくなる時間、というのが、まぁ、概ねよく人々の間に認識されているようである。

夜になると気温も下がってきて、人肌恋しい。ぼんやりとテレビを見ている時にふと訪れる虚しさ、一人で寝るベッドは少し広くて寂しい。誰かを抱きしめたい。どうして君がいないんだろう。
という感覚は理解はできるし、知らないわけでもない。

ただ、どちらかというと一人で過ごす夜が大好きな私は寂しさよりも夜更かしのワクワクが今でも上回ってしまう。こうやって考えていることをnote(紙媒体も含めて)に書き落としたり、読みかけの本をベットで読んだり、紅茶を入れてぼーっとしたり、朝が来るまで部屋で踊り続けたり。義務も制約もなくて、自由な気がする。

みんな寝てしまった後だから、私がちょっと変な本を読んでいても、変なダンスを踊り続けていても、誰も知らない。次の日、普通な顔をしていると、自分だけの秘密が楽しい。子どもみたいなワクワクだけど、今も基本的には同じ気持ちがある。

夜は大体ワクワクしているので、「夜、一人で寂しくないの」という質問にも呆けたような顔で「あんまり……」と答え続けていた。「夜長寂しい系ソング」は新旧問わずたくさんあるわけで、自分も寂しいけど強がっているのではないか、と何度も自分を疑ったけれど、今のところ、致命的に寂しくはない。

でも、「夜寂しくない」からといって、一人で過ごすことが全く辛くないということではない。


私にとって一人が耐え難いのは朝だ。

目が覚めた瞬間というのは本当に憂鬱だ。気怠くて、また一日が始まることが辛い。頭はぼんやりしていて、やらなくてはいけないことに押しつぶされそうになる。

また、この大嫌いな世界で目が覚めてしまった。と思う。

政治はスポーツと同じゲームに変わりつつあり、のんびりしていたTwitterはすでに前知識なしで罵るためのプラットフォームとなり(最も今も私はTwitterのヘビーユーザーだけど)、貧困を題材にした映画が生まれ続け……、とにかく、この目が覚めた時点で最も深刻な問題は「化粧をして人間の形に戻り、所定の時間までに会社にたどり着かなくてはいけない。そのためには至福の布団から抜け出し、エゴイスティックな自分と向き合いつつも、他者を威圧せず、ニコニコする気力を用意する必要がある」ということ。

再起動したてで処理能力が著しく低い脳みそに大小問わず様々な憂鬱が流れ込んでくる。もうどうしようもなくて、目が覚めてから10分くらいベッドの縁に腰をかけてぼーっとしていることもある。

そんな朝、目が醒める時に、誰かの声を聞けたらと心の底から思う。誰か人の温もりを感じることができれば、と思う。誰かの声が、体温が、この泥沼の思考を中断してくれないかと思う。

我ながら自分のことしか考えていない発言で嫌になるけれど、朝、またこの世界で生きていく絶望と向き合うのに一人はとても辛い。

一人でいる事はとても好きです。ただ、朝は一人であることに限界を覚えます。でも、夜は一人でいたいな。朝、勝手に誰かが潜り込んできてほしい。犬……?

最後まで読んでくれてありがとう。