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内包される16歳

誰しも16歳の時があった(16歳未満の人は除く、若いね)。

暇なのでPodcastを聞こうと思ってSpotifyをぼんやり見ていたら、このPodcastを見つけた。

「古い日記を読み返す?他人の日記って気になるな」と軽い気持ちで聞き始めた。

「16歳くらいの日記。すごく汚い字で罫線を無視して斜めに『酔っ払った!』、聞いている人はちょっと驚いてるかもしれないけど、イギリスで未成年飲酒は本当に普通のことで……」

聞き始めてすぐ、すごく後悔した。全く他人の日記なのに、なぜか聞いていてすごく恥ずかしい。このLukeさんという人の語り口は素晴らしくて面白くて味わい深さもあるんだけど、如何せんびっくりするほど恥ずかしい。もう本当に恥ずかしくて髪の毛が逆立つんじゃないかって思った。ジブリみたいに。すぐに一旦停止した。

水を飲んで落ち着くと、続きを聞きたいという気持ちがふつふつ湧き上がってきた。だって、私が生まれた1994年に16歳だったUK少年の日記なんて他にどこで垣間見れるっていうんだろう。気になるじゃないか。

家だと恥ずかしくて死にそうだったので、外を歩きながら聞くことにした。脊髄反射的な恥ずかしさが収まると、だんだん微笑みが私の心に浸透してきた。

そう。私にも16歳の頃があった。

この25歳差のイギリス生まれのPodcasterと日本生まれの私は全く違う。性別、文化的背景、時代。全部違う。1994年ってカート・コバーンが死んだ年だし(このPodcasterの方はBeastie Boysばっかり聞いていたみたいだけど)。私の中では記憶がなくて、ちょっと歴史の域。

それでも、16歳のその人と私はちょっと同じだった。いや、結構同じだった。同じように将来や周りの変化が不安で、同じように嫌なこと(テスト!)があって、同じようにPortisheadをきいて憂鬱になっていた。

今、ここにこのLukeさんが呼ばれて、その辺の人が彼と私を見比べてみたら、二人はどうも全く違う人間、という判断がされることだろう。彼は極東のノスタルジックカントリー特有の気弱さを漂わせた私を訝しみ、私は私で英語話せない恐怖に金縛りになり、挨拶くらいはするかもしれない、それでも、とにかく二人は曖昧に微笑んでその場を去り、何も残らない。お互い謎のよくわからない全く違う人間。

でも、少し待って。時の針を戻してみよう。二人とも16歳の頃があった。

さぁ、二人とも16歳だ。やはり見た目は全然違う。やっていることだって全然違う。彼は女の子とバンドに夢中で、私は塾に追われている。

それなのに、16歳の二人は同じだったのだ。たくさん共通点がある。テストが悪くてお先真っ暗に思える日、友達と遊んで気分がいい日、誰も信じられないような憂鬱に襲われる日。そして、16歳の彼らは好きな曲をノートに書き出す。彼はミックステープを作るため。私は忘れずにCDショップで探すため。

もう深く言葉を交わせなくなった大人たちが普段の会話の中でたどり着くのは難しくても、みてみて、こんなにたくさん共通点がある。全く違うように見えても、全く違うわけじゃない。


だから、「こんなの無理」と理由もなく理不尽に突っぱねてきた前の会社の上司も、最近、前日まで「大好きだよ」と言い合っていた彼氏にフラれたお姉さんも、16歳のときがあった。私のディレクション能力に哀れみの目を向けるプログラマの人にも16歳の時があった。

確かにそれはずっと昔の話だけど、16歳の彼らと今の彼らはどうしようもなく繋がっている。ほとんどの細胞は入れ替わっても、生活が全く変わっても、16歳の憂鬱な自分をハグして励ましたくなるくらい大人になってても、それでもあなたの中に、私の中にあの頃の迷える自分がいる。

そう思うととっても不思議な気持ちになる。

君の16歳はどんなだった?私はいつでもそれを知りたいよ。


最後まで読んでくれてありがとう。