心の痛み

大人になると心の痛みは減るんだろうか。

それとも、大人になったからじゃなくて、信頼できるパートナーがいるから(私が勝手に信頼しているだけだけど)だろうか。中長期の目標に実現可能性が見えてきたからだろうか。

色々なものが擦り切れてしまったんだろうか。


10代の頃はもっとずっといろんなことが辛くて、毎日「消えたいな」と思っていた。歩いている間も「このまま土に吸収されて消えないかな」と思っていた。

自分が色々なことが上手くできないのがすごく辛かった。

人と関わるのも上手じゃなくて、ギターもなかなか上手くならなくて、成績も学校の中の下くらいで、文才もなくて、絵も上手くなくて、走るのも遅くて、体育は地獄で。

同級生は「才気煥発」という言葉が似合うような子ばかりで、私のように打てば内側で3秒後にこもって響き始めるみたいなタイプはコソコソ生きているしかないと思っていた。

私の人生なんてないと思っていた。誰かの人生の外側にいると思っていた。私がやらなくても、私以外の誰かが私よりも優秀な形でやり切ってるくれると思っていた。


それでも、働き始めると、そこにあったのは「私の人生」だった。私の仕事、私の成果、私のキャリア、私の人生。

ただ「私がやったこと」が評価されていた。私は人にたくさん助けてもらって、当たり前のことをしただけでも、誰かが褒めてくれた。純粋に私の成果じゃないから少し変な気がしたけど、嬉しかった。


「私がやる」ということが徐々に怖くなくなった。「私」じゃない誰かがやったほうがいいんじゃないか、という恐れは少しずつ消えていった。
「私」がやるなら失敗もする。それでも、「私」がやっていいらしい、と少しずつわかってきた。実際、私以外やる人もいないらしいということも。


失敗は怖くない。トライしなければ、何処にもたどり着けない。

回り道も怖くない。回り道をしても、諦めなければいつか辿り着く。

私より賢い人は山ほどいる。でも、それは私がやっちゃいけない理由じゃない。


恐怖が溶け出していく。少しずつ消えていく。私は強くなったのだろうか?ナイーブさはなくなってしまったんだろうか?

もう10代の頃とはすっかり変わってしまって、人生を過ごしやすいようにポジティブにチューニングされた肉体と精神を過去の私が少しだけ揶揄している。

私はもう変わってしまったポジティブな人間だから、これが人生だと、と言おう。痛みも喜びも小さくなっていく。これが人生だ、と。穏やかに言おう。

最後まで読んでくれてありがとう。