私とつかこうへいについて

北区AKTSTAGEが「飛龍伝2022」を紀伊国屋ホールで上演すると聞いたとき、私は観に行くかどうかとても悩んだ。私はつかこうへいが好きだけど、好きすぎて拗らせてしまっている老害タイプだからだ。
観に行っても面白いと思えないかもしれない。過去に観た「飛龍伝」と比較してしまうかもしれない。そんな不安があり今回は観に行かないことにしようとすら考えていた。ところが、知り合いに一緒に観に行かないかと誘われたため、これも運命と思い直し観に行くことにした。
結果としてとても面白かったし心から観に行って良かったと思った。私の中で、私とつかこうへいという関係性に説明がついたからだ。


つかこうへいとの出会い

私がつかこうへいを知ったのは小学校1年生の時だった。つかこうへい劇団が主宰する児童向けの年間ワークショップに参加したのだ。当時は「つかこうへい」という存在もよく知らずにただただ劇団員の方々に遊んでもらっていた。今考えると、とんでもない方々に馬になってもらったり水鉄砲を浴びせたりしていた気がする。小学生の私、かなりやんちゃだった。父でも学校の先生でもない「大人のおじさん」に遊んでもらうことも楽しかったし、今思えば当時から演劇で遊ぶことの楽しさを知ったとても良い経験だったと思う。ワークショップには結局4年間参加した。

初めて観たつか作品は小学2年生の時に上演された、つか劇団研修所卒業公演の「売春捜査官」だと思う。正確には1年生の時に「2代目はクリスチャン」を見ていたのだけど、脚本そのものは渡辺和徳さんが書かれたものなので、正真正銘のつか作品はそれで合ってる、はず。
正直感想は覚えていない。ところどころに差し込まれるギャグが楽しくて笑っていた記憶がある。つか作品ってキツめの下ネタが多いから、私の母はよく観に行かせてくれたな……と思う。すごく感謝してる。

そこから何作もつか作品を観てきた。
その中で初めて「つかこうへいの言葉」を意識したのは、中学2年生の時に観劇した「飛龍伝2014」だった。多分、私にとって1番濃密に覚えている観劇だ。知っている劇団員の方々がたくさん出てきて、私がワークショップを受けていたころは新人だった相良長仁さんが紀伊国屋ホールの真ん中に立っていた。とても楽しかった。
物語が進むにつれて、つかさんの言葉が役者を通じてどんどん心の中に浸透してきて気が付いたら号泣していた。感動しすぎて、とてもお世話になっていた劇団員の方にお願いして挿入歌のデモ音源を頂いたし、北とぴあつつじホールでの追加公演を観に行った。しばらく相良さん演じる山崎一平に恋してた。
極め付きはその年の読書感想文だ。中学生の私は「飛龍伝~神林美智子の生涯~」という、つかこうへいが書いた小説で夏休みの宿題の読書感想文を書いた。当時の国語の先生、いきなり趣味に走った感想文を提出してごめんなさい。

つかこうへい拗らせオタク

「飛龍伝2014」にを観た私は、そこから意識してつか作品を鑑賞するようになった。AKTSTAGEの公演も観たし、高校生になってある程度のお金が使えるようになってからは、扉座や岡村俊一演出のつか作品も観た。
様々なつか作品を観るうちに、私の中で、ある種歌舞伎の型のようなものが
つかこうへい作品の中に生まれていった。

熱海の最初は白鳥の湖が爆音で流れてほしい
パピヨンのテーマと菊の花じゃなきゃ嫌だ
「カーステレオからこの曲」はもっと声を張って欲しい
などなど……あげだしたらキリがない。そんなことを繰り返すうちに
それが私の悩みになった。ちょうど1年前くらい。

高校の同期が「売春捜査官」に出演していたため観に行った。いわゆる
「つか芝居」から脱却した演技と演出を意識していることが感じられた。
私はそれを「つまらない」と思ってしまった。つかさんの言葉は、つか芝居で表現しないと伝わらない、満足できないと考えてしまった。
そこで、その考え方ってめちゃくちゃ老害じゃない!?!?と自分に
ショックを受けた。

私は、演劇に対してそれなりに真剣に向き合ってきたつもりだ。
演劇の正解はたくさんあるし、面白くないと思った演目でも、
なぜ面白いと感じなかったのか、私の好みじゃないだけなのか、
役者か演出か脚本が悪いのか考えて、消化するということを繰り返してきた。なのにつか作品だけはそれができない。1つの正解という型以外認められない、そんな自分に気が付いて苦しくなった。
そんなことがあり、去年1年間はつか作品を観るたびに苦しいという気持ちがつきまとっていた気がする。

飛龍伝2022

冒頭にも書いた通り、そんな状況だったため今年の飛龍伝は見送ろうと
思っていた。私にとって飛龍伝の正解は相良長仁で稲垣里紗で時津真人だからだ。そんなの、私にとっても、今つかこうへいと向き合っている役者にとっても良くないと思った。
紀伊国屋ホールの飛龍伝は私にとって本当に特別だ。
8年前、間違えてサザンシアターに行ってしまったことも、観劇前に食べた中村屋のカレーも、その時に着ていたお気に入りのワンピースも、紀伊国屋ホールの寒さも、終演後のロビーの煙草臭さも全部覚えている。
思い出補正された観劇体験は絶対に超えることができない。(話はずれるけど、だから私は再演作品に出演する時はめちゃくちゃに緊張する)

でも、観て良かった。
もちろん、演出や役者に物申したいことは山ほどあった。ただそこは私の
好みの問題であって、紀伊国屋ホールという舞台に提示された答えには何の
不正解も無かった。今の時代に即した演出や、一色さんが演じるからこその山崎一平像があり満足の観劇体験だった。
特に、11.26当日の三浦さんが美智子を迎えにやってきてから桂木が戻ってくるまでの流れは圧巻だった。三浦さんの芝居は流石だった。もともと北島役が好きなのに加えて三浦さんの声帯が、2014年に同じ北島役を演じていた久保田創さんと重なって胸が熱くなった。桂木が戻ってきたときの一平の表情はとても優しくてドキッとした。これは、表情にこだわる一色さんだからこそ生まれた演技だと思った。

(ここから先は私の「飛龍伝」の解釈が混ざっているため読む人は注意してほしい)
今回の飛龍伝の副題にもある通り、飛龍伝は「青春」の物語なのだと思う。学生運動を美化してけしからん内容だ!という感想を見かけたことがあるが、私はそれは違うと思う。彼らにとっては、安保闘争がかけがえのない青春であり、その哀しさが飛龍伝には表れているのだと感じた。
「飛龍伝」は大人になった元学生と元機動隊が、昔を懐かしむシーンから
始まる。この学生と機動隊の役で草野さんと大江さんがつかこうへいの言葉を発し始めた時、私の身体は急激に熱くなった。二人のセリフ回しや少し枯れた声が「飛龍伝2014」の観劇体験を思い出させたのだ。紀伊国屋ホールで、涙のカノンが流れ、つかこうへいの言葉が脳みそに入ってくる。その時間が私にはとても幸せに感じられた。
この瞬間、私は「私にとってのつかこうへいは青春なんだ」と腑に落ちた。

私の青春

「ごめんね青春」というドラマが好きだった。青春とは、甘く楽しい思い出だけではない。苦かったり辛かったりする思い出もまとめて青春なのだ。
といった言葉がたくさんちりばめられていた。
本当にその通りだと思う。幸せな記憶も、ああすればよかったという後悔も全部まとめて、あの頃には戻れないというのが青春だ。やり直せないからこそ美しいし人の心に残り続ける。
私にとって、つかこうへいは小~高校までの思い出と密着しているものが多い。初めての演劇発表会は、児童教室の先生(つかこうへい劇団年間ワークショップに参加していた劇団員の方)と一緒に板の上に立った。飛龍伝2014を観た後、図書館で小説を借りた私は授業中も先生の目を盗み本を読んだ。高校の「ゼロから演劇を作る」という授業では、同じくつかこうへいにハマった友人と一緒につかこうへい作品のオマージュを行った。補講という名の休日登校で、友人とつか作品の映像を観てその良さを話尽くした。

そのような楽しかった記憶も、私にとっての「正解」を定めてしまう苦しさも、印象的だった観劇体験も全部含めて私の青春だ。
私が、つか作品に型を求めてしまうのも、私が青春を求めているからだろう。
舞台上の人物たちが青春に思いを馳せると同時に私も自分の青春に気が付けた。これは幸せなことだと思う。そのおかげで「飛龍伝2022」は心穏やかに観劇することができた。
私にとっての「つか芝居の正解」と違う部分があったら、素直に私の青春を受け入れ思い出し懐かしむことで受け入れることができた。

つかこうへいという青春

正直、この観劇スタイルは、今つかこうへいの言葉と向き合う役者に対して失礼だと思う。自分にとっての正解から離れた瞬間、目の前の芝居ではなく昔の観劇体験を思い出し始める観客がいたら私だって嫌になる。
なにより、フラットな感想を持つことができない。私は一生つかこうへい作品の批評を書くことはできないだろう。

でも、つかこうへいに関してはそれで良いと思った。一度青春だと思ってしまったら、もうそれを無しにすることはできない。つかこうへいという世界の中で私は青春と心中するしかないのだと思う。
つかこうへいがキッカケで演劇に出会ったけれど、私の中で「演劇」と
「つかこうへい」は全くの別物になってしまった。
私にはつかこうへい以外にもたくさん愛する演劇があるから大丈夫。

きっとこれからも、つか作品を鑑賞する時私はそこに青春を追い求めると思う。私にとっての「新幕末純情伝」は松井玲奈で、「モンテカルロイリュージョン」は杉山圭一と多和田秀弥で、「売春捜査官」は大滝樹だ。多分それは一生変わらない。どんなに工夫を凝らした演出をされても私の身体は「ピアノ協奏曲第1番」を、「涙のカノン」を、エレファントカシマシを求め続けると思う。
そんな、青春に追いすがってしまう私を受け入れようと思った。


私とつかこうへいという関係性に名前がついた、という意味で
本当に今回「飛龍伝2022」を観に行って良かった。
もちろん、演劇としてしっかりと面白い作品であることが前提として。

君は戦場、僕は恋。
あなたは青春、演劇は愛。
謎ポエム!


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