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【読書記録】倉本一宏さんの『紫式部と藤原道長』を読んで考えたこと

倉本一宏さんの『紫式部と藤原道長』を読んで考えたことを、書きます。

この本は、NHK大河『光る君へ』の下敷き本というか、骨格本というか、大河が歴史創作ファンタジーに走っている分、そのもととなる史実はこちらですよ、という案内本です。

昨年から、いろんな大河関連本が出ていますが、そもそも一次資料が限られているので(『御堂関白記』『権記』『小右記』『紫式部日記』がメイン)、正直どの本を読んでも、大まかな部分は大同小異という気がしないでもないんですよね……(というか、ビギナー向けの本ってそんな感じ)。
この本は、紫式部と藤原道長の人生に沿って、時系列的に書かれているので、大河のネタバレを大いに踏みまくると言えばそうなんですが、逆に「この史実をこうドラマにするのか~」と味わうためのガイド本でもあります。


『源氏物語』と藤原道長との依存性は?

道長の権力構築には、娘の彰子が皇子を生むことが大前提。
一条天皇を彰子のもとに呼び寄せるためのエサとして、『源氏物語』とその作者である紫式部が利用された。

また紫式部も、当時貴重だった紙の入手ルートとして、道長という後ろ盾が必要だった。
あれだけの長編小説を書くのに必要な紙は、個人で入手できるものではなく、権力者に公用紙を融通してもらわなければならなかった。

結果的に、両者が互いに利用し合う依存関係があったようです。が。

道長は結構したたかな人間だから、紫式部の登用は、数ある手札のうちの一枚、という感じだったんじゃないかと思ってしまうんですよね。和泉式部や赤染衛門も採用してるし。
仮に彰子が皇子を産まなかったとしても、定子の子の敦康親王を手元で育てるという保険をかけてるし、最悪の場合の想定は、いろいろしてたんじゃないかと。

一方の紫式部は、貧乏無職期間の長い藤原為時……の娘で、夫にもあっという間に先立たれてるし、『源氏物語』を書ききるだけの紙の調達は、パトロンなしでは不可能でした。
まあ、あの家族なら、食べ物ケチっても紙を買いかねない気はするけど、当時、紙が市で売られてるわけなくて、紙はことごとく朝廷管理品だったそうで。そりゃそうか、識字率の低い庶民が紙を買うわけないし……と、納得。
この本の中で、当時の紙の値段も書かれてますが、ちょっとよく理解できなかったので、ここでは割愛。ただ、紫式部だけでなく藤原道綱の母も清少納言も、公用の紙を権力者(兼家、行成)から融通してもらっていたのではないか、ということです。なるほど。

平安女流文学にはパトロンが不可欠だった。
藤原道長は、援助してできた作品『源氏物語』を、政治的に利用した。結果、道長の政権構築に役立った。
でも結局、道長にとっては、『源氏物語』も紫式部も道具に過ぎなかったんだろうなあ……娘の彰子でさえ蔑ろにしてるし……と思うと、なんか煮え切らないです。

政権が揺れ動くより、安定を望んだ実資

道長の娘・彰子が親王を二人産んでも、道長政権は安定しません。一条天皇の後に皇位についた冷泉系の三条天皇が、自分で政治をやりたがったからですね。

てか、まあ、頂点の地位についたら、普通の人間はいろいろやりたがるんですよ。そのために、いろいろ勉強させられてきてるし。賢帝の話(漢書)も、当然読んできてるはずだし。
なのに、現状追認しかできない。今現在、力を持ってる道長の顔色を、ずっと窺ってなきゃいけないのか? となると、なんとか一発逆転、政治工作をやってみたくなるのも人(天皇)の常。
で、いろいろ抵抗を試みるわけですけど。

実資が『小右記』に残してるみたいなんですよね。
そんな政情不安は誰も望んでいない。貴族たちは、安定した道長政権による政治を望んでいるんだ、と。
頼りにしている実資に、自らが考える改革路線を否定される三条天皇……。哀れすぎる。

しかし実資のこの感覚、いかにも内向きではありませんか。要するに自分のポジションしか考えてない。

道長が頂点に立ってる以上、誰も道長を上回る権力者にはなれない。でも、道長の下で、それなりの地位を得てやっている方が、どう転ぶかわからない新体制よりマシだ、と。
変化より安定。仮に納得できないことがあったとしても、先の見えない未来より、予想できる安定した現状維持の方がいい。
なんか、感覚が1000年後とそっくりで、泣ける……。

つまり。
これ、道長から見れば「あ、それで納得するんだ。そこまでの野心なんだ」となるでしょう。だから無害な下僕と認識できる。
下僕の位置であっても、実資ら上流貴族はかなり恵まれた境遇ですから、既得権益を守るための現状維持路線には、メリットが大きい。下手に冒険して全部失うより、ルールのわかる今の体制で画策する方が、リターンが大きい。

この気持ちはすごくわかるので、何ら実資を責める立場にはないんですが、理知的な実資ですら、権力闘争を政治だと思っていたあたりが、やっぱり限界だったんだなあ……と思うわけです。

そりゃ、実績のない三条天皇より、実績を残してる道長の方がマシ、という意味での「安定志向」という見方もできます。でも、道長の実績の中に、政敵に対する嫌がらせも入ってるので、それが面倒くさいというのもあると思うんですよね。
こういう発想って、腐敗と衰退への入り口だと思うんだけどなあ。
虐げられる側の立場を、まるで無視してるので。

それぞれの晩年

実資は『小右記』で、道長の晩年を結構細かく記録しているようです。
実況かよ、と、ちょっと思ってしまいました。
まあ、道長がいつ死ぬかというのは、貴族にとっては重要事項ですよね。
でも、読んでてちょっと辛くもなります。私もだんだんそういうのが気になる年になってくるので。

反面、紫式部の死亡年ってわかっていないんですね。
実資が、彰子との取り次ぎを請う「女房」は紫式部だそうで、まあ実資と紫式部、ハイレベル教養人同士、打てば響くようなやりとりもあったかもしれませんが、「女房」とあるのは多分紫式部……と倉本一宏さんが解釈されてるのは、ちょっと本当かな? という気になりました。
「女房」と記述があるから、ここまでは紫式部は生きてる、とされてますけど、他の女房殿の立場ないやん。

ちょっと考えたらわかることですけど、日記を書いてる本人の死亡記事って、自分では書けないわけですから、誰かが故意に書き残さないと、いつ亡くなったかなんて後世の人間にはわからないわけですよね。
人間ってはかない……。

おわりに

1000年前まで古代をやってた我が国(中国の古代の終わりは始皇帝の統一)は、島国であるからこそ、まったりとした権力闘争をやっていた。近視眼的な政情安定を望み、一部の支配者層の中で王朝文学を花開かせた。
と書くと、身も蓋もないんですけど。

実資が現状維持を望んでたってのが、割とショックで、しかも自分も「明日、会社の籍がなくなってたら嫌だよな。現状維持して欲しいよな」と思ってしまったし、ああ、でもみんなが現状維持を望んだら、世界は良くならないじゃん! なのですよ。

古代の社会には民主主義はないので仕方ないですが、現代に生きる自分が流されてどうする。みんなが尊重されるより良き世界を目指さなくて、どうする。
てか、現状維持路線で30年やってきた結果が、現代日本の経済状況だから、現状維持ではあかんってわかってたところに、実資おまえもか! なんですよね。

日本人は千年前から、将来ビジョンを描くのが苦手なようです。
というか、王朝交代を経験してないから、現状が永遠に続くと思ってる?
「この国をこんな国にしたい!」と意気込んでも、集団指導体制だから誰かが足を引っ張るし、足を引っ張られるのが嫌だから何も言わない。考えない。前例踏襲するのみ。だめじゃこりゃ。

日本史を読むと、自分たちのダメな部分が如実に表されてるようで、なんともまいったなこりゃ、なんですが。
だからって目をつむっても何も変わらないので、歴史は教訓として学んでいきたいと思います。
ありがとうございました。


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