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古代史と、古代史を学ぶことについて、考えている。

ここ2か月くらいで、以下の本を読みました。


前回の記事からの続きになるんですが、図書館で借りて読んで、気になった事柄についての本を次に借りて……というのを繰り返して、やっと3冊読み終えました。
というか、遅いですね、読むの。
もう、内容についていくのがやっとなんで、勘弁してください。
貸し出し延長は、スタンダードです!

なんて、たらたらしつつも、上田正昭先生の歴史学に対する向き合い方は、とても懐かしいものでした。
私もはるか昔の大学時代に、歴史学をやったので。
日本史ではないんですけど、読んでいて学生時代に戻っていました。
特に『日本古代史をいかに学ぶか』は、学生さんとか、これから歴史を学ぼうとされる方におすすめです。
歴史が暗記モノだという偏見は、ホント払拭したいですね~。


『律令国家と隋唐文明』は、隋や唐に呑み込まれないように、当時のヤマト王権が一生懸命、律令制度を導入しようとしていた、その切羽詰まった感じがよくわかる本です。
学校の日本史の教科書で、淡々と語られていた701年とは違う、あたふた感。
逆らうと何してくるかわからない、強大な国が目と鼻の先にあって。
しかも、向こうの技術や文化は、太刀打ちできないくらい進んでいて。
同じような立場の周辺諸国も、実はうちより技術的に進んでて。
さっさと国力上げなかったら、うちが最底辺国になっちゃうじゃん! って。

そんなヤマト王権に、革新的な技術や文化をもたらしたのが、渡来人ということですね。
当時の朝鮮半島情勢も相まって、たくさんの渡来人が、進んだ技術や学問を持って移民として来てくれたので。
ヤマト王権も積極的に受け入れて、重要ポストにつけていたようです。
漢字の導入・書類作成にしても、軍事・防衛にしても。
情報の漏洩を恐れる……なんて発想は、当時はなかったようですからね。


そんな渡来人たちについて『渡来の古代史』で詳しく書かれています。
もはやヤマト王権を支えたのは誰よ? というくらい、渡来人は日本の歴史上、なくてはならない人たちでした。
坂上田村麻呂も渡来人だったって、私、知りませんでしたよ。
まあ、大中国の脅威と日常的に接していた渡来人の方が、軍事に対しても進んでたんでしょう。
命のやり取りをうまく他人に押し付けてしまおうとしたのかもしれませんが、全幅の信頼がなければできませんよね、渡来人に軍事を委任するって。

学問も、純粋に、大陸の進んだ学問を学びたいって気持ちはあったんだと思います。
儒教や仏教も、教養として、知らなければ恥をかく、というのがあったし。
唐に対しても新羅、百済に対しても、「こういう学者の先生(もしくは御坊様)を派遣してください」って、平気でお願いしてた、プライドよりも実利なんですね。
まぁ、ヤマト王権にしてみれば、使える人材を少しでもヘッドハンティングして、自分たちの生活が安泰になればそれでよし、だったんでしょう。


というような古代の姿が読み取れるのですが。
『日本古代史をいかに学ぶか』を読んでいると、これまでの先達研究者の研究結果を疑問に思え! と言われているようで、なかなかハードル高いんですよね。
どんなに高名な研究者であっても、持論が完璧な研究者なんていない。
師の研究の不足部分を補い、発展させていくことが、後進の務め……なんて言われると、びびっちゃいます。
びびる反面、本居宣長と同じ分野を勉強してる! って考えたら、変な感じもしますね。
もはや歴史上の人物が、ツッコミ対象になるわけですから。

そう。やっぱり日本古代史研究って、歴代研究者も多いし、本もたくさん出ているんですよね。
現代日本を考える上でも、過去にどんどん遡っていけば、古代史に突き当たるわけですし。
その上で、新たな考古学的発見があったりすると、過去の偉大な研究者の説が覆されたりするんですから、気が抜けません。
読みながらも「この説に抜け穴はないか」「この論文が書かれた後に新発見はないか」常に気を張りつつ読めっていうことですからね。
面白いじゃないですか。


結局、テクストと適度な緊張感を持ちつつ読んでいくのが歴代学ということで、その距離感は、現代社会を考える上でも絶対に必要だよねと、情報の海を目の前にして思うのでした。
なので、年号や重要事項を暗記するだけじゃない歴史学を、もっと多くの方に興味を持ってもらいたい!
というか、人文学全体が、本当はもっと重要なんですよ~という話。

なので、無教養者は今日もせこせこ読書をするのでした。

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