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『国道16号線「日本」を創った道』を読んだ話。

『国道16号線』を読んでた話は、3行日記でも書きましたが、その振り返りをしたいと思います。

この本は、国道16号線の地形にポイントを置き、地形が人類社会をつくるという観点から考察されています。
ジャレド・ダイアモンド氏の『銃・病原菌・鉄』を意識して書かれたらしいのですが、確かに人類(日本人)と地形との関わりについて、『銃・病原菌・鉄』的アプローチと思われる部分があり、なるほどと思ってしまう内容でした。

国道16線というのは、まあ戦後の高度成長期にできた道で、だからそんな国道目線の論考ってちょっときつくない? と最初は思っていましたし、いや別にその理論は16号線以外にも当てはまるでしょ? というツッコミは入れつつ読んだんですが。
しかし、プレートのぶつかり合う場所としての関東地方、その結果生まれた台地部分が16号線であるとすれば、確かに旧石器時代人や縄文人はそこに住居を構えるだろうし、目の前は水辺や湿地帯で漁場にもなるし、農業をするにも台地は都合がいい。
そのまま時代を経て関東武士の拠点となったとすれば、軍馬育成場として台地は使えたらしいし、そこから戦前の軍事拠点を経て、米軍基地になったとみれば、16号線やばくない? そこまで都合よく使われちゃう? と怖くなってしまいました。

私は16号線の神奈川県部分にちょいと縁があるので、イメージする16号線もそちら側なんですが。
首都圏というには地方色が強く、地方というには地域で結束できていない、どこまでも都心の影響に引きずられる感のあるのが、16号線沿線ではないかと、個人的に思っています。

そんなちょっと「残念」な地域だと、当の16号線沿線地域住民が自覚しているからこそ、逆にそこを逆手にとって、昨今は子育て世代向け街づくりを推進してるようです。
都心に比べると家賃も一軒家も安いし、お金をかけずに家族で遊べるところもあるし。


16号線そのものは、偶然できた地形をつないで線を引いたようなもので、日本人がその地形をたまたま利用してきただけで、本来、その周辺地域につながりはなかったんですよね。中心の江戸が首都機能を持つまでは。
と考えると、やっぱり16号線は東京ありきなのかぁ……とさみしくもなるのですが。

ただ、それぞれの地域が、地形的に似ているがために偶然似たような発展をしたとか、歴史的に国家元首が計画的な国造りをほぼしてこなかった国だからこそ、人々が流されるように状況に対応しつつ生きてきたとか、そういう日本人の生きざまの上に現代の我々があるのだと思うと、もっと自分の住んでいる地域に対して意識的になる必要があるのでは? と思うのでした。

この本の巻末で著者も書かれてますが、自分の住んでいる地域の地形を知るって大事だし、災害云々だけでなく、先人たちの積み重ねを知ることで、世界の見方が変わると思うんですよね。


ということで『16号線』を読んだことで、結果、太田道灌って何者よ? と次なる疑問がわいてきたのでした。
江戸城を作った人……と言われても、こちとらそれは家康! と信じてたんでね。
東京の人は地域の歴史で学んだかもしれないけれど、西日本出身で高校社会は世界史を選択した奴には、「あんた誰?」なんですわ。
そういや、昔読んだマンガでかすったぐらいで。

一つ本を読めば、一つ知りたいことが増える。
好奇心のままに生きていたら、人生100年くらいじゃ足りません。
さあ、最期の瞬間まで、あがいてあがいて楽しみますよ♬

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