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『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか 民主主義が死ぬ日』は、やっぱり怖い。

 『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか 民主主義が死ぬ日』を読みました。

夏に『エルサレムのアイヒマン』を読み、それ以来『ユダヤ人の歴史』を経由して、ぐるっと一周、ナチス・ドイツに戻ってきました(読書の輪)。

この本『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか』は、民主主義国家であったはずのドイツで、どんどんナチ党が拡大していく様が描かれています。
読みながら、他国の歴史ながら、とても怖かったです。
あれ? ひょっとして現代日本も似たような状況じゃない? と感じる部分があったので。

以下、この本を読んでポイントだと思ったところをまとめていきます。

不況は危機の温床

世界恐慌がなければドイツはああはならなかった、とよく言われますが。
実際は恐慌以前から経済に不安があったらしく、とどめが恐慌で。
結局、不況は社会不安につながるので、まずいということですね。
食べていけるかいけないか。それは生命の危機に直結する訳ですから、簡単に人々の精神を追い詰めます。冷静な判断力を奪ってしまいます。
他の政策がどんなにマシでも、経済で失敗すると「何かしてくれそう」な政党に票が流れる。威勢よく現政権(民主主義政権)を批判するだけで、合法的に勢力を伸ばすことができる。
当時のドイツ人は、第一次世界大戦開戦時の意気揚々としたドイツ国家が好きだった。敗戦とそれに続く民主共和制には、惨めなドイツの印象が連なった。
だから強いドイツを取り戻そう的なことを言うことで、ナチ党は勢力拡大できたようですね。あれ? 既視感があるのは気のせい?

ナチ党は、民衆の支持を背景に、政権争いで有利な立場に立ち、権力を手にしてしまいます。その途端、自前の武力組織を使って、反対派の弾圧を始める。合法的な手順を活用して、あっという間に独裁体制を築く。
我が国にも以前「このやり方を真似たらどうか」と言う政治家がいましたが、本当にヤバいです。今、模倣する勢力がいたら、民主主義なんてあっという間に崩壊してしまいます。

コロナ禍の今、長引く不況で、日本経済というか庶民の懐は冷え冷えとしています。
政治に何とかして欲しいと願いつつ、日々の生活では、政治家にも資本家にも搾取されるのが当然の状態。
これ、いつ権威主義的独裁体制になってもおかしくない状況なんですよね。
政治家や資本家は、そもそも民主主義じゃない方が利益を得られるので、連中がこんなに力を持ってしまうと、簡単に一線を飛び越えてしまう。下手をすると2022年参院選後。
考えるだけで憂鬱になるんですけど……。

法は運用する人次第

アメリカの法律家オリバー・ウェンテル・ホームズ・ジュニアは、法律の起草には用心のために善人ではなく「悪人」を念頭に置くべきだと指摘したが、まさにそうすべき例となった。

『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか 民主主義が死ぬ日』

ヴァイマル憲法は、決してダメな憲法ではなかったし、当時のユダヤ人がドイツを住みやすい国として認識していたくらい、ヴァイマル共和体制はいい制度でした。
ただ、運用していた人たちの認識に過ちがあったんですね。
政治家・宗教家・資本家の中に、権威主義の方が理想的であるという認識があった。彼らにとって政治とは、つまるところ権力闘争だった、という。
利権闘争を繰り返した挙句、御しやすい味方としてヒトラーを連立政権に引き込んだ。
だが、ヒトラーが始めたのは暴力革命だった。反対派を次々と粛清し、誰も口出しできないようにした。
そして、法は死んだ。

日本の憲法も改憲が言われていますが、運用する政治家を善人前提にしてはいけないということですね。
成文法は解釈ひとつでどうとでも取れるので、ヒトラーのような政治家が現れることを想定して、ヒトラーのような政治家が悪用できないようにしないと、日本も戦前に逆戻りです。否、今が戦前でない保証はないんですが。

政治家を信用できないって情けないことではありますが、人間ですから、間違いは起こします。間違いを起こす前提でプランニングしなきゃいけないのが、仕事ですから。
その間違いが、国民の生命や財産にかかわる問題になるのが政治なので、最悪のミスを回避するためにも、「悪人」運用の可能性を排除できません。
今の政治家がそこまで悪人でなかったとしても、5年後10年後の政治家はわからないのでね。

敗戦の検証の必要性

日本でも先の敗戦の検証というと、まあいろいろもめます。
ドイツも第一次世界大戦の敗戦の検証は、もめたみたいです。
陰謀論とか、銃後の守りの規律破綻(要するに国民がしっかりしてないから負けたんだ、という八つ当たり)もあったようです。
敗戦を受け入れた人は、資源・人材・軍事力の不足が原因と、現実的な問題に気づいていたようなんですけど、そこから政治家や軍人が逃げちゃったら、改善のしようがないですよね。
それで、現実逃避して何も改善せず、うまくいかないのを国民のせいにしたりするから、「もっと国民に協力させろ」からの全体主義に突入するわけで。
そんなもんで勝てるほど現実は甘くないからこその、二度目の敗戦となるわけで。

普通に社会人やってたら、自分の失敗の検証って絶対必要だと思うし、それをやらずにミスを繰り返すなんて本末転倒だと思うんですけど、なんでか国家権力者はできない。
敗戦の検証というと、すぐに善悪とか謝罪とかに結び付けたがるのが日本人ですが、そんなものはうっちゃって、とにかくなぜ負けたのか、ですよ。
資源不足・人材不足・軍事力不足が原因だったのは、冷静に考えればわかることだし、さらに言えば開戦前からわかっていたのに、その資源不足を補うために戦う的な本末転倒戦略を推し進めた。正気の沙汰とは思えません。
日中戦争も太平洋戦争も、負けるべくして負けた、それだけです。
どんな理由があっても、負ける戦争をやるのは愚です。
謝罪だのなんだのは、外交カードとしてどう使うか、です。
敗戦した瞬間から、次の「国家としての競争」は始まっているわけですから、そこで負けない戦いをしなきゃならない。それだけなんです。

なのに、国の面子とか外交駆け引きがあることを装いつつも、実は考えているのはおのれの保身だったりする。でも、その利己主義が自分の首を絞めることに気づかない。
権力者を支えるものが地盤・看板・鞄(ドイツにおける貴族の子弟的な立場とか)だったりすると、権力を好きに行使すること自体を「権利」だと誤解しますしね。で、失敗は他者のせい……。もう手に負えない。

前述しましたが、人間は間違えるんです。完璧にすべてこなすことなんてできないんです。だからこそ「何が失敗だったのか」を振り返り、改善を重ねていかなきゃ、同じ過ちを繰り返すんです。
こういう普通に社会人やってたら当たり前にこなすハードルを、拒否する権力者がいるんですね。なぜか。古今東西。
なので、国民が検証するしかない。検証するのが当たり前の国民性にしていくしかない。二度と敗戦したくなければ。破滅したくなければ。

権威主義への道

実は、権威主義体制への道って、とっくに開かれているんですね。
前述しましたけど、資本家(事業家)は権威主義の方が利益が上がるので。
民主主義イコール資本主義ではなくて、資本主義を突き詰めていくと、権威主義になります。資本家は、労働者の権利なんて守りたくないので。ただで長時間働かせられたら、その方が資本家の利益は増えるじゃないですか。
で、政治家も権威主義の方がいいわけです。選挙なんてなくて、政治家の子孫が政治家をやる階級制度だったら、権力も資産もがっぽり独占できるし。
そういう状況から、民衆が反対の声をあげて行動を起こしたから、近代民主主義が生まれたわけですけど、怪しいですよね、昨今。
政治に興味のない人や、政治家個人を無批判に支持する人が増えている……。

民主主義は、国民一人一人の日々の行動の結果、かろうじて維持できる程度の脆いもの。ヴァイマル共和体制(民主主義)が死んでいく顛末を読むと、もうそれを痛感せざるを得ません。
国民の「まさか」が現実になっていく。「それでも大丈夫だろう」が甘い夢だったと死の瞬間に知る。

この本は、ぜひ多くの方に読んでいただきたい本です。
私のへたっくそな感想文ではわかりにくいと思いますので、ぜひ本書をお手にお取りください。
ありがとうございました。


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