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『知的生産の技術』を読んだ話、その後の話。

梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』を読みました。

今年度の上半期、放送大学を受講したんですが、ノートの取り方が全然ダメだなぁと、痛感しまして。
私の年齢(53)を考えれば、ほんっとーーーーに今さら感は拭いきれないのですけど、それでもこのまま読まないよりはマシなので、読みました。

実はこの本、3年くらい前に買ってたんですよね。
なのに、そのまま積読してました。
いい本らしい、と聞いたものの、50年以上昔の岩波新書ですから。
古の新書に対する「文字小さそう」「読みづらそう」という偏見ゆえですね、ハイ。

しかし、実際読んでみると、まあ2015年の改訂版でしたので、文字も大きく読みやすい。
さらに言えば、めっちゃひらがな多用されてて、小学生向けかと思ってしまうくらい、漢字が少ない。
私の躊躇は、いったい何だったんだろう……(呆然)です。

自分の記録を取る

この本で言われていることをざっくりまとめると、

「自分の記録を取りましょう」

となります。
本の前半で記録(メモ)の取り方や用紙の取り扱い方、後半ではメモの周辺事項(読書や手紙・日記・原稿等)について書かれています。

この本を実用書的に読むのなら、前半を。
後半は、どちらかと言うと歴史民俗資料的に読んでもいいのかもしれません。
何それ? は、後ほど。

メモはB6カードに1枚1項目

著者の梅棹氏が提唱したB6サイズのカードに11項目で記録しよう」というのは、どこかで耳にされた方も多いかと思います。
京大式カードとして売られているのがそれですが、B6横向きのカードに、一枚一項目で必要な情報をメモしていって、学習に役立てようというものですね。

実は私も三十数年前、大学の先生に梅棹式メモ術を指導されてました。卒論資料の集め方として。
でもカードは買わず、B5のルーズリーフで代用してました。
高かったので。
B5では、何書いても余白の方が大きくて、精神衛生上良くなかったですけど、B6カードより割安だったので……。

サイズ的に見ると、B6サイズって丁度いいんですよね。
一枚一項目の原則は、資料集めとして考えたら、それ以外ありえない。
並べ替えたり、別のカードと組み合わせたり、自由自在ですから。
一項目書くには、B6って気が利いてるサイズで。

だからこそ、B5では大きすぎるものの、学生の頃は手が出せずに、結局継続できませんでした。
でも京大式カード、今でも私には高い……。
高いカードはいくら頑張って買っても、書くこと自体を躊躇しそうで、そうしたらもうメモの意味ないよなぁ……。

逆にもっと小さいサイズのカードなら、ダイソーさんでも売られてたりするんですが、老眼の身には、小さいは天敵。
見えにくいから、書く字もどんどん大きくなるし、小さいカードでは、少ししか書けない。
そんなストレスが最初からわかってるやり方が、続くとは思えません。

なので、あえなく次善策のA5ルーズリーフ使用案に私は流れる事にしました。
B5とB6の中間サイズで、無印良品に行けば安く買えるし、字を大きくしてもいい。

要は、

・たくさんメモを残す。
・一枚一項目で分類自由にする。
・必ず日付けを入れる。

このあたりですかね。

経済的ハードルを下げれば、取り組みやすいし続けやすい。
まあ、ルーズリーフの「分類してしまって終わる危険性」はあるんですけど。

心情の記録と経験の記録

この本の後半は民俗資料、と先述しましたが、50年以上前の本ですので、やはり内容に年月を感じる部分はあります。
日本語をローマ字表記にする運動とか。
カタカナ、ひらがな、両タイプライターの話とか。
原稿用紙を使うべし、とか。
若い方が読んだら、多分意味不明で笑っちゃうようなことを、当時の大人たちが真剣に考えてる様子が伺えるかと思います。

でも、そうやって「昔の日本人」がわかる部分が、記録を残すことの重要性なんですよね。
奇しくも梅棹氏はこの本でそれを証明されています。

梅棹氏は、日記も心情より経験を記録すべきと言われてますが、この本も心情・経験共に残されているので、だから面白いんだと思います。
氏の主張には反するかもしれませんが、いやでも梅棹先生だって心情吐露してるじゃん、だから読んでて笑っちゃうしツッコミも入れちゃう。
全部ローマ字つづりの手紙なんてもらったら、そりゃFUZAKERUNAってなりますって。

そして。

日本人は、記録軽視、成果第一主義で、実質的で、たいへんけっこうなのだが、社会的蓄積がきかないという大欠点がある。やはり、どうしてこうなった、ということを、かきのこしておいてくれないと、あとのもののためにならない。
『知的生産の技術』

この部分は、非常に重要なことだと思います。
それは、昨今の公文書保存の軽視を、そのまま指摘しているとも思えるので。

個人が今すぐ公文書に介入することは困難ですが、記録って未来の為に必要だよね、という意識を持って行動することは、個人でもできるので。

人生において、なんて大きく構えなくても。
例えば仕事をする上で、トラブルが起きたときにどう対処するか、マニュアルがあればまだ焦らずに済みますよね。
で、そのマニュアルってだいたい先輩たちの経験談がもとになっていたりするので、失敗した時の記録ってめっちゃ大切。
そもそも論として、マニュアルなんて失敗したときしか見ないですし。

その記録を、断捨離して全部破棄してしまったら。
記録ってそういうものだなぁと改めて思い、さりげないノウハウメモも重要だよね? と思い至っているところです。

まとめ

  • 気になったことはどんどんメモする。

  • できればカードに書いて様々に分類できるように。

  • 一枚一項目、日付けも忘れずに。

  • 経験の記録も重視して。

ということで、私もメモライフを拡張します。

余談

私はここ数年、前田裕二氏の『メモの魔力』式ノートを自己流にして使っていて、それがそこそこ調子いいので、そこは継続していくつもりです。
というか、ノートは考える為に手を動かす場として存在していると思っているので、記録としてのメモとはちょっと感覚がずれるというか。
ただ、ノートは後から見返すのが圧倒的に億劫なので、そこをカード式(ルーズリーフ式)でなんとかしたい。

要は、誰が提案した書式だからではなく、自分に合うか合わないかだと思うんですね。
B6カードはコスト的に私には合わない、それだけの話。

この記事をお読みいただいてる方も、ご自身に合ったメモ方式を模索されますよう。
多分、梅棹忠夫氏もそれを望んでらっしゃるのだと推測いたします。

余談2

この記事を書き始めて推敲してる間に、新しくA5のルーズリーフとバインダーを買って、メモを残し始めました。
と言っても一日一枚くらいのペースで、ほぼ雑記。
家計簿代わりに書いたものもあれば、子どもに伝えたい簡単レシピだったり(そのメモで夏休みの昼ごはんを指示)、アニメの中のセリフだったり、子どもとの会話だったり。
全然アカデミックじゃない!

まぁでも。
それが庶民の生活なんだなぁと、自分の人生を振り返って、思うしかないですよね。
梅棹氏が自分の知識の貧弱さに苦しむって言われてたのが、それどころじゃないんですけど状態。

無知な自分、怠惰な自分と向き合うしかないので。
そんな惨めな自分を救う近道は、他者を否定しないことなんだなと。
自分も他者も肯定する。
わかりあえなくても、否定しない。

そういう人間になれたらいいよねぇ……とずっと思ってる。
達観できればラクだともわかってる。
でも難しい。
人間は弱くて愚かな生き物。

弱かろうが愚かだろうが、手を動かして頭を使うことで見えてくる世界が増えるなら、それに越したことはないので。
手書きのメモに興味のある方は、ぜひご一緒にメモ道に進みましょう。

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