20年ぶりにミステリーを読んだら、クリスティーがめっちゃ面白かった件

約20年ぶりにミステリーを読みました。
先日行ったヘアサロンで、スタイリストさんがミステリー好きな方だったので、これも何かのご縁と思い、手に取りました。
アガサ・クリスティーの『ゴルフ場殺人事件』です。

白状すると、これまでクリスティーは読んだことがありませんでした。
学生時代、ミステリーも読んでいたんですけど、アール・スタンリー・ガードナーのペリー・メイスン・シリーズばかりを読んでいました。
みんなが「クリスティー面白いよっ」と言っていたので「でもガードナーも面白いし~」と意地を張ってました。残念なヤツ!

今回、どうせ久々に読むんだから、最近の流行りとか全然わからないし、ガードナーは絶版になってるし(涙)、ここでクリスティーも制覇してやろう(シェイクスピア制覇もまだできてないけど)……という、さまざまな妥協と野心の果てに、読んでみたんですけどね。

めっちゃ面白いじゃん、アガサ・クリスティー!

読んでこなかった自分は莫迦ではなかろうか、と思うくらい、面白かったです。

古典は最強

やっぱり、長年読み継がれてきた本というのは、面白いから読み継がれるんですよね。
昔の作品は「古臭い」とか「年寄のもの」とか「世界観が古くてちょっと無理……」とか、まあいろいろ抵抗があるのはわかります。
でも、100年前の作品でも、100年間、多くの人が面白いと思ってきたからこそ残っているわけで。(でもガードナーも十分面白いと思う。あれが絶版になったのは、ひとえに法廷ミステリーだったからだと思っている)

確かに『ゴルフ場殺人事件』でも、冒頭で「女性は女性らしくあるべき」という台詞が「私は古風な人間だ」という前置きをした上で語られている。
100年前だから仕方ないよね、というより、100年前なのに「古風な人間の感覚」なのかそれが? と思ってしまう。それがイギリスなのか~。日本はジェンダー平等で後れを取るわけだよなあ。うん。

昔の作品の世界観は、一歩引いて眺めると、現代との対比が見えたりするので、別の面白みが出てきますね。

それに、私が読んだのは2011年の新訳版ですが、あっちこっちでいろんな海外文学作品の新訳が次々と出てますよね。
翻訳作品って、やっぱり訳した当時の世界観も反映されるので、そういった意味で新訳版は、より現代作品に近い古典なのだろうと思います。
面白さが保証されている上に、読みやすい現代翻訳版。
もう、読まない選択肢はないですよね!

クリスティーの柔軟な発想力と文章力

ここ20年くらいミステリーを読んでいないので、特にそう感じるのかもしれませんが、クリスティーの発想力はめちゃめちゃ柔軟なのではないかと思います。
犯人が誰なのか、殺人事件はなぜ起こったのか、はたまた被害者とはどういう人物だったのか、こちらの予想の斜め上をいく展開に、最後までどきどきしながら楽しめました。
読み終わって本を閉じたとき、天才っているんだなあ~、と思っちゃいましたよね。

時代性もあるのかもしれないけれど、人生はどんなふうにでもやり直せる、というのも『ゴルフ場殺人事件』で描かれているように思います。
南米って、当時の欧州人にとっては、本当に新天地だったんだなあとも感じます。

でも、物語の視点を、あくまで事件が起こったフランスに限定しているし、主人公・ポアロが拠点とするイギリスに行く場面があったとしても、どこか箱庭物語な雰囲気がある。
箱庭だからこそ、本という物質が宝箱のように感じられるし、安心して読める。
安心して読ませながら、どんでん返しで翻弄してくれる。
いわば「体験型イベント」のようなものですね。

それでも「海外翻訳作品は、ちょっと苦手で……」という方もいらっしゃると思います。私もそうでした。
ガルシア=マルケスの『族長の秋』なんて、二度と読めないだろうと思います。

でも、実は我々って、学生時代にさんざん翻訳文章を読んできたし、自分でも翻訳してきたんですよね、英語文の。
日本人は、日本語で作文するより、英語を翻訳する機会の方が多かったのでは? なんて言われたくらい、10代の頃はとにかく英語翻訳してきました。
なので、実は海外文学に感じる壁って、蜃気楼なんじゃなかろうかと思うんですが……。

だからこそ、苦手意識がある? それは私です。
でも大丈夫。現代日本語に訳されてますから。
この『ゴルフ場殺人事件』も、とても読みやすかったです。

光と影のバディもの

クリスティー作品といえば、エルキュール・ポアロですが、この『ゴルフ場殺人事件』も、探偵・ポアロとその友人・ヘイスティングズのコンビが難事件を解決します。
いわゆるバディもの、ですかね。
二人組といえば、光と影。
ちょっとおとぼけなアーサー・ヘイスティングズ大尉が光、クールなポアロが影、といった立ち位置でしょうか。……って、まだこの一作しか読んでないのに、よく言うわ。

ポアロはベルギー出身で、イギリスでヘイスティングズとシェアハウスしている。
今作では、ポアロの素性は一切出て来ない。
他作品も読めよ、って言われてるみたいですね。気になる。

クリスティーはホームズが好きだったようですので、やっぱりポアロたちはホームズとワトソンか? って誰もが思うと思うんですよ。
そこを置いといたとしても、対照的な二人組って、物語のモチーフになりやすいですよね。

それで、おとぼけヘイスティングズ氏が、頭脳明晰なポアロ氏に頼り切っているように見えても、実はこの関係って共依存なんじゃないかと疑っています。
ポアロがヘイスティングズと一緒に行動しているのって、その方がラクだからじゃないかなあ……と踏んでいるんですが、どうですかね。
ポアロ・シリーズの他の作品も読みたくなる、これが動機です。

100年前のヨーロッパの感覚を垣間見る

今回読んでてちょっと驚いたのが、ポアロたちはちょくちょくドーバー海峡を行き来してるんですよね。船で。
イギリスにいて、フランス人の依頼を受けて、イギリスとフランスを行ったり来たり。そしてポアロ自身はベルギー人。
EUのできる前のヨーロッパで、国境感覚ってそんなに緩かったの? と、そこがずっと不思議で。

同じことを東洋で考えると、韓国出身の探偵が日本に住んでいて中国で起こった事件に乗り込んでいく……的な感覚ですかね?
ちょっとあんまり現実的な感じはしないなあ。(体制的な問題もあるけど)
この、我々の感覚とは違う感じを垣間見るのも、古典や海外文学を読むポイントですね。

また、ポアロたちは、多分普通に英語とフランス語をしゃべっているんですよ。
じゃあ、ベルギー出身のポアロの母語は何? 
と思って、ベルギーでウィキペディアを見たら、オランダ語・フランス語・ドイツ語に分かれてるんですね。
さらに歴史も見てみたら、やっぱりここも古代ローマから始まっている……。

ヨーロッパって、いろんな意味で成功例の地域なのかもしれないなあと、ふと思いました。

同じことをアジアで考えると、漢字文化圏で古代では中国に朝貢していたということで言えば、東アジア地域は中国文化圏と言えます。
でも、だからといって朝貢国はすべて中国の属国である、その領土は中国の領土だ、と言われたら、断固として「違う」だし。
長年一強だったし、今も一強になりつつあるから、かの国はそうなってしまうんでしょうけど。

やっぱり対等に近い国力の国々があって、互いに駆け引きしたりしながらやっていく。そういうのが発展の秘訣なのかもしれません。
100年前の丁度この頃って、ドイツは敗戦でへとへとの時期ですけど。

アジアはやっぱり中国が強大過ぎるので、強大な中国が統一国家をつくる過程で、異民族もどんどん呑み込んていったし、我々にはなすすべもなかったし。
始皇帝が統一する前に何とかできていたら、現代のアジア情勢って全然違うものになってたかもしれないですけど、2200年も前の話ですしね。
ただ人間って、そういう大昔のご先祖たちの行動如何に左右されるんですわ。哀しいことに。

というふうに、閉じた箱庭の宝箱のような作品であっても、現代に通じているんですね。
だから、面白い。
若い頃の読まず嫌いを反省し、これからはどんどん読んでいきたいと思います。

自分が出会った時が新刊


って、50過ぎて「読書が趣味です~」なんて言ってる大人が、あれも読んでないこれも読んでないって結構恥ずかしいんですけど。
だからといって、読まないのはもったいない! 
面白さを伝えないもの、もったいない!

「え? まだ読んでなかったの?」というような人にはにっこり笑って「だからなに?」と返して差し上げますので、優越感はポケットにしまってくださいね~。

どんな古典も、自分が出会った時が新刊だ! って、ネットでどなたかが仰っていました。
それ、いいですよね!
他者基準ではなく自分基準で考えたら、自分が手を取ったときがその本の新刊時期です。だってそれまで、自分の世界にその本は存在していなかったわけですから。

流行って文字通り流されていくので。
自分が興味のあるものを読んでいく、その先に教養があるんじゃないかと思っています。
この世には読み切れないたくさんの本があって、我々を待っている。
わくわくします。
生きている限り、いろんな本を読んでいきたい。

ありがとうございました。

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