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『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』を読んで、面白い文章とは何か考えた話。

川上和人先生の『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』を読み終わりました。

この本を読む前、家族の具合が頗る悪くて、まあ悪いのは今もなんですが、だからとにかく楽しい本を読みたかったんですね。
以前、『鳥類学者、無謀にも恐竜を語る』を読んで、それが無茶苦茶面白かったので、この本を手に取りました。

川上先生は団塊ジュニア世代の鳥類学者で、小笠原諸島の鳥の研究などをされてる方ですが、と同時に、どう読んでもサブカルオタクとして成長されたようにお見受けします。
鳥類の説明の例え話として、ガンダムのシャア専用モビルスーツ話で1ページ費やしちゃうとか、ちょっと筆がすべりまくりではないですか? と心配になってしまうくらい。
世代の近い元アニメファン(私)からすると、全編随所に懐かしいネタが絡んでいるので、楽しく笑いながら読めましたし、元気を貰えました。

ただ。
それでもいくつか追いきれないネタ部分があり、「ここの話でも著者とほかの読者の方は盛り上がれるんだろうなあ……」と思ったとき、面白さの裏を見たような気がしたんですね。
面白さって、逆から見たら排除では? と。

サブカルネタはリスクを背負う

子どもは誰でも一度はアニメを観ます。
自分の最も純粋な頃の記憶を共有してくれる文章に出会ったら、そりゃ嬉しくもなります。

ただ、昭和の時代と違い、現代は各種サブスクでいつでも好きな作品を自分のペースで観ることができます。
そこには、家庭内チャンネル権争奪戦もなく、翌日の学校で昨日見たアニメの話で盛り上がることもなく、自由と引き換えの孤独があります。

金曜ロードショーやNHK大河の際にTwitterがにぎわうのも、みんな共有したいからですよね。
共有したいから、みんなが見ているものを見たい。
その感覚は昔もありました。
残念ながら、昔は本放送を見逃すと再放送まで見られないので、みんなの話を聴きながら自分で想像したりして、無理やり辻褄を合わせたりもしましたね。

今は、誰かと共有したければ、後からサブスクで追うことも可能です。
ただ作品が増え、多様化したことで、それも物理的に厳しくなっています。
SNSの話題についていくために、例えば倍速視聴をしてポイントを押さえようとしても、追いかけてるつもりの作品から追われる状況なのではなかろうか、と。

そんなふうに要点だけ押さえた鑑賞をしても、情報としての作品知識を仕入れただけで、その作品は鑑賞者の血肉になっていませんよね?

そして結局、見てない人を排除するような、追いかけ続けることだけに価値があるような、そういう方向に行ったりしませんかね?

サブカルって、もう好きな人(子ども)が好きなように見ればいいものではなくて、作品の描かれ方とか、その作品を支持する人たちの傾向とか、そういったものを論じる必要のある時代にきていますよね。
なので、この作品が好きと主張することにも、自分の人間性を提示するような責任が伴っていたりするし、そのためにはその作品をどこまで深掘りしていくかが問われます。
現代の感覚では人権侵害・差別的表現になるものも昭和アニメには多く、それらに対してどういう意見を表明するか、しないかで、人としてどうであるかが見られます。

いくら文章が面白くても、このリスクを背負う覚悟を考えたら、迂闊にこの著者の文章を真似できないなあ……というのが、第一の結論でした。

日本人共通のネタって何がある?

サブカルが禁じ手だとすると、日本人なら誰でもわかる共通のネタって何があるだろう、と考えました。
古典文学とか歴史とか?
でも、一般人と研究者の差が激しいのが現実で、古典文学ネタで笑いを取られても、ついていける気がしないし、素人がそれをやろうとしたら、事故る予感しかしない……。

欧米人におけるシェイクスピアのようなものが、我々にはないんですかね。
いや、早まるな。ないのは、私だけかもしれん。
世の中のみなさんは、夏目漱石ネタや森鷗外ネタで盛り上がってるかもしれんし、2024年は『源氏物語』ネタできっと盛り上がってる。
それどころか、毎年NHK大河でTwitterが盛り上がるのは、歴史が日本人共通のネタだから、教養ある方々が素人にもついていけるように指南して下さってるのではなかろうか。

まあ、戦国時代が日本人の基礎教養だからって、現代の戦争を桶狭間や大坂冬の陣に例えたりするのはあまりに危険だけど。(対外戦争と内戦を同じ次元で考えると必ず読み間違えるので)

古典文学も歴史も、現代の感覚で読むと「あかんやろ」なことがたくさんあるし、とりあえず『源氏物語』には下衆な男しか出てこないんですが、それをどう解釈するかが我々に問われているわけで。
つまりサブカルも古典も、読者に求められることは変わらないわけですが、著者や当時の人がこの世にいない分、我々は態度を表明しやすいですよね。
著者が存命の場合、その作品を批判しにくい……というのは事実で、SNSでやるとダイレクトに伝わる場合があるし、それで著者がメンタル病んだら、ちょっとこちらも夜、寝られなくなってしまう。

じゃあ、この記事は川上和人氏を批判しているのか? と問われると、川上氏の文章は面白いし、川上氏の本だからこそ、さして興味もなかった鳥に注目するようになったのも事実で、面白かったのは否定しない。
ただ、だからって、川上氏の文章をまねてもコケるだけだし、この本は2017年の本だから、その後世界は変わってる。

つまり、次の世界に通用する面白さって何だろう……というのを考えているうちに、どうにも暗礁に乗り上げてしまったわけです。

ノウハウより教養

ネット上には「読ませる文章力」「面白さとは何か」などとうたった記事がたくさんあって、実際参考になることが書かれているし、それらを読んでどんどんうまくなっていく人もたくさんいるんだろうなと思います。

でも。
文章を書く人であると同時に、我々はたくさんの文章も読むわけで、その際、知らないことがたくさんあると、仕込まれた笑いのポイントに気づかぬままスルーしちゃったり、意味を読み間違えたりするんだよなあ……ということに気づいたのが、今回最大の収穫でした。(鳥の話ではなく、そっちかい!)

表面的な知識ばかり増やしても、表層的なネタにしか対応できないから、そういう読者が増えれば、著者もそういうネタしかぶっ込めない。
反面、中身をかみ砕いて理解してる読者が増えれば、著者もそれに対応した内容を提供してくれるだろう。
高校の歴史の教科書より大河が面白いのは、フィクションで面白くしてる部分もあるけど、何より生きた人間として描いているからで。

そうしたら、やっぱり興味のある分野を深めると同時に、日本の人文学も深めた方が、日本のSNSとしてはWin Winになるんじゃないかなあと思ったわけです。

目先の悩みを解決してくれそうな本に、私もつい手が伸びます。
この本を読んだきっかけもそうだし、そんな読書の方が多い……というか、読みたい衝動や好奇心の裏側に「悩みを楽にしてほしい」という欲求があるのって、悪いことではないと思うし。
ただ、それ以外があるからこそ、人と共有もできる。

面白い文章を書くことも読むことも自分次第と言われたら、なんかもう救いがないんですが。
小手先の技術では解決しない道とすれば、その方が逆に面白いので、腹をくくっていこうかと思っている隙に、七夕の夜も終わっていくのでした。

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