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『地名の古代史』を読んで考える、我々とは何なのか。

古代史と現代の間をうろうろしています。
3週間くらいかけて、『地名の古代史』を読みました。

この本は、30年くらい前に出版された、谷川健一氏と金達寿氏の対談集……の復刻版です。
日本の地名研究者である谷川氏と、在日韓国人作家で日本の中の朝鮮文化を研究してきた金達寿氏。
このお二人による、日本の地名に潜む古代史についての対談で、前半が九州篇、後半が近畿篇になります。


すごく莫迦っぽい感想になりますが、読んでてすごく面白かったです。
例えば九州篇。
朝鮮半島南部の人たちが、国の戦乱により、海の向こうに見える島に行ってみよう! と、対馬を目指した。そして壱岐へ、九州へ上陸していった、と。
なんだかその情景が目に浮かぶようです。
国家としての枠組みが、まだまだゆるやかだった古代において、より住みやすそうな新天地を目指した人々。
不安もあったでしょう。でも、このまま伽耶の地にいて、戦乱の中で死を待つだけなら……。
そうして辿り着いた先でコミュニティをつくり、大陸の進んだ文化を持ち込み、土地の人となっていく。

そうやって九州で都市国家をつくる。
また別の一団が別の土地に辿り着き、先住の人たちともめたり融合したりしながら、別の勢力圏をつくる。
それらの過程で、朝鮮半島由来の地名や神社が残されていく。
『古事記』や『日本書紀』の謎が、地名や朝鮮半島というワードによって、仮説をつくっていくようになる。
日本と朝鮮半島との垣根が、実はとても低かったというような、ちょっと衝撃来な説が、どんどん出てきます。


その、さまざまな仮説のキーワードとなるのが、アメノヒボコでして。

私も『古事記』を読んだときに、突然現れたアメノヒボコなる新羅の王子の存在が、すごく不思議だったんですね。
そこまでの『古事記』って、ヤマト王権を正当化するためのものだったのに、いきなり渡来王子の話が始まって。
彼は出雲勢力とも戦って、どうやら勝ったらしい。
でも『古事記』のお話は、またヤマト王権に戻ってしまう。
アメノヒボコやその子孫、配下たちは、どうもヤマト王権の支配下に組み込まれた?

この本で谷川氏も金達寿氏も、アメノヒボコというのは、特定の個人というより渡来人の集団だったり、その集団の信仰対象だったりという意見を示されています。
鍛冶などの特定技能集団、ですね。
日本になかった精錬技術は、そりゃ重宝されたでしょうし、進んだ武器を持つ連中は、手ごわかったに違いない。
そういう集団の住んでいた痕跡が、日本各地にある。
さみだれ式に、たくさんの集団が日本に来たのか、日本で増えた集団が移動したのか。後々、ヤマト王権が移動させた例もありますね。


なんて考えながら読んでいると、ものすごく現地に行きたくなります。
国内だし、コロナ禍でさえなければ、まだハードル低いんだけどなあ。
(50代なので、ちょっと出歩くのは怖いし。)
九州や近畿に住んでいる人たちが羨ましくなります。
やっぱり、実際に自分の足で歩いて、自分の目で確かめたいですね。


この本を読んでいて、結構ハラハラする部分があったのが、谷川氏と金達寿氏の意見がちょいちょい対立するところで。
谷川氏もあとがきで仰ったとおり、やっぱり金達寿氏は「日本の中の朝鮮文化」を探す視点で研究されていたので、その視点で見ておられた部分が大きい。
それに対し谷川氏は、朝鮮文化と日本独自のものと両方あるという視点で。
両者の意見を読んで、その主張の根拠の論理性を見るようにしていたんですが、時々「おや?」という部分もありました。

人間って、自分の立てた仮説に沿うように、物事を見がちなんだなと、あらためて思いました。


この本を読み終えて、今、考えていることは、「ひょっとして私も渡来人の子孫かもしれない」ということです。
父方母方、両方の苗字が、渡来人系の地名・苗字として出てきたせいもあります。
まあ、日本人の苗字なんて、明治期にどさくさ紛れにつけられたものが多いので、1000年以上の歴史を証明することはできないんですけど。
でも、なにがしかのご縁がなけりゃ、この苗字にはたどり着かないよねえ……などと思ったり。

それ以前に、我々の祖先は、この島の上で猿から独自に進化したわけじゃないんだから、朝鮮半島や中国、北アジア、東南アジア等々からの移民でしかないんですよね。
いつごろ渡ってきたか、というだけで、全員移民の子孫。
もちろん、それは昔々の話で、我々はこの列島上で生まれたし……かもしれませんけど。
だったら、昔と今の区切りはどこでつける?
江戸っ子は3代住まなきゃ江戸っ子と言えない……って言いますけど、じゃあ在日3世は江戸っ子では?
白村江の戦いが境目……なんっつったら、義務教育の歴史の授業、もっと増やしてもいいと思うよ。

そもそも、漢字とかなで言葉を綴る民なのです、我々は。
借り物の文化や技術を加工することに、長けていて。
農業も、政治も、文学も、技術も、基本を輸入してきて。
いっそサルまねの民と開き直った方が、清々しい。

古代史をちょっと学んでいて感じるのは、古代の日本って貪欲だったなということ。
自分たちの国家形成や、国際的地位の向上に対して、良いものは貪欲に取り入れようとしたこと、ですね。
そういう点で現代を見て、貪欲に輸入しているのが新自由主義だったりすると、ちょっとさみしいです。

私もこの島国に生まれて、この島国に愛着があります。
だからこそ、我々とは何なのか。
独学では限界がありますが、考え続けたいと思います。

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