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1989|中江有里(女優・作家・歌手)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイあの街、この街。第13回は、女優、作家、歌手と多方面にわたりご活躍されている中江有里さんです。故郷を離れたことで初めて芽生えた感情について綴ってくださいました。

西暦と元号を一致して覚えられない。
1989年は平成元年、それだけは忘れない。
この年、私は故郷大阪から上京した。当時15歳だった。
駅からほど近いビルの一室。事務所が借りてくれた寮替わり。

小さなダイニングと六畳和室が二間。バストイレ付。うち一部屋は所属事務所が倉庫として使っていたので、私のテリトリーは残り一室。この六畳間から私の東京生活は始まった。

昼間は各レッスン場へ。歌は乃木坂、演技は阿佐ヶ谷、ダンスは徒歩圏内の代々木。夕方になると定時制高校のある赤坂見附へ。
大阪の繁華街「キタ」と「ミナミ」のような場所が東京にはあちこちにあると知っていたが、ひとりで見知らぬ繁華街に行く勇気などない。行く先々の人の多さに圧倒される毎日だった。
 
上京してまもなく、ホームシックにかかった。関西弁が抜けず、うまく標準語で話せないコンプレックスから友達もできない。毎晩実家へ電話しては泣き、電話を切ってからひとりで泣いた。
仕事のなさ、自分のふがいなさ、孤独、さみしさ、これまで知らなかった感情が次々と襲ってきた。

受けては落ち続けていたオーディションにようやく合格した。初めての映画出演。ロケ先はマレーシア。初の海外だった。マネージャーの帯同はなく、わたしより年若い子役たちもみなひとりで参加している。初の映画出演で不安はあるが、行くしかない。
マレーシア・ペナン島の天候はおだやかで、焼き鳥に似たサテ、チャーハンのようなナシゴレンが口に合った。緊張はしたけど、全般的に楽しく過ごせた。
撮影半ば、共演者の子役のひとりがホームシックにかかった。その様子を見たもうひとりの子役も少し様子が不安定になっている。
子役たちの気持ちが痛いほどわかった。ロケは二週間。家が恋しくて、家族に会いたくて、涙を流している。
だけど私はちっともさみしくなかった。

あれ、ホームシックはどこへ行った?

異国マレーシアにいるのにさみしくないのは、東京もマレーシアも故郷から離れていることに変わりなかったからだ。妙に思われるだろうが、そうとしか説明できない。東京生活でさみしさは十分味わった。故郷からさらに距離が離れたからといって、さみしさが増すわけじゃない。そう思ったら、涙はひっこんだ。
撮影を終えて、帰国してからも泣く日はなくなった。こうしてホームシックは解消された。

1989年、平成元年。私は生まれて初めての孤独とさみしさを知った。
これまで自覚したことのなかった故郷と家族への愛だった。
誰かに語りたいような素敵な記憶はそれほどない故郷だけど、そのすべてが自分を作ってくれた。

文=中江有里

◇◆◇ 中江有里さんの近刊 ◇◆◇

わたしたちの秘密』(中公文庫、2022年)

中江有里(なかえ・ゆり)
女優・作家・歌手。1973年大阪府生まれ。法政大学卒。89年芸能界デビュー。数多くのTVドラマ、映画に出演。読書に関する講演、小説、エッセイ、書評も多く手がける。著書に小説『わたしたちの秘密』(中公文庫)、『水の月』(潮出版社)、『万葉と沙羅』(文藝春秋)など。2023年1月 Newシングル「なみだ、海へ帰す」リリース。文化庁文化審議会委員。

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