「江戸時代、このあたりで織られていた青梅縞は、最先端のおしゃれ着として大流行していたんです。この青梅縞を復元しよう、そんな目標が先にあって、天然藍灰汁醗酵建*1を一から学び始めました」
藍染工房「壺草苑」の工房長・村田徳行さんが語る。ふと外に目をやると、藍色に染まった糸や布が太陽の下で気持ちよさそうに泳いでいる。藍と一口に言っても、その色合いは幅広いのだが、どれをとっても心が洗われるような美しさ。
青梅縞は天然藍の染織物で、特長のひとつは、綿に絹を忍ばせていること。木綿のみの生地より風合いが豊かになり、しなやかさも増すという。武士以外は表立って絹を身につけられなかった時代、お上の目をかいくぐる粋な着物として、より広く支持されたのだろう。しかし、明治時代中期を過ぎると、衰退の一途を辿ってしまった。
一方で、「向こう百軒が機屋だった」(村田さん)ほど、近代以降も青梅は織物の産地として栄えていた。村田さんの生家も大正時代から染物業を営んでいたが、藍染に関しては門外漢。社長だった兄が青梅縞の素材や織り方、歴史などを調べ、村田さんは藍の産地を行脚しながら藍染の研究を重ねた。そして2004(平成16)年、10年もの歳月を費やして、ようやく3種類の青梅縞を再現。「幻の織物」が甦った──。
近年は、青梅市でも青梅縞の歴史や文化を積極的に発信しようという気運が高まっている。地域プロモーション「Ome Blue*2」がその好例。取り組みの一環として、地元企業と壺草苑のコラボグッズをはじめ、新しい藍染製品が生まれている。
壺草苑では、青梅縞の復元で培った技術を生かして、シャツ、パンツ、ストールなど、幅広いアイテムを製作し続けている。
「天然藍灰汁醗酵建にこだわった藍染は、全国でほんの数パ―セントでしょう。手間ひまかかるし、そりゃあ大変。藍染の工程は、楽をしたければいくらだってできる。だからこそ、愚直に取り組むことが大事なんです」と村田さん。「色合いとか透明感とか、全然違いますから」と力を込めた。
技法は江戸時代に回帰、翻ってデザインはスタイリッシュ。村田さんは「この先も、うちでしかできないものを作っていきたい」と意気込む、攻めの姿勢一択。青梅縞を生み出した先達の志と重なって見えた。
文=神田綾子 写真=武藤奈緒美
出典:ひととき2022年5月号
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