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陶板で再現された世界の名画を訪ねる(徳島県鳴門市・大塚国際美術館)|ホンタビ! 文=川内有緒

作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る連載「ホンタビ!」。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。本を旅する、本で旅する。

 鳴門なると海峡にかかる「うずの道」を歩いていた。しぶきをあげて渦巻く海を見て、わあ、渦潮っていうけど、本当にぐるぐるしてるのね、と思った。

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遊歩道「渦の道」から渦潮を眼下に見る。海上散歩が楽しい☎088-683-6262

 車を走らせると、入り口に色とりどりの国旗をはためかせた建物が現れ、中には静謐せいひつなホールがあった。天井と壁に施されているのはミケランジェロの最高傑作として名高いフレスコ画!? わあ、ここはバチカン……いやいや、間違いなく鳴門のはず!

 実は、この大塚国際美術館は、陶板とうばん*で名画を再現するという世界でも類を見ない美術館なのである。館内には古代壁画からルネサンス、近現代美術など――ピカソもゴヤもモネもフェルメールも――1000点以上の再現作品がある。

陶板* 陶器の板

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クロード・モネが晩年に描いた「大睡蓮」。陶板の特性を生かして屋外に展示

 そして私がいるのは〈システィーナ礼拝堂〉だった。天地創造や最後の審判の光景がまるで1枚の巨大なタペストリーのように来館者を包み込んでいる。うっとりしていると「システィーナ礼拝堂も1000点のうちの1点です」という学芸員の富澤京子さんの言葉で現実に引き戻された。そうか! このホール全体で1点なのか。想像を超えた美術館のスケールに、ひえええ、と叫びたくなった。

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富澤さん(左)と川内さん。エドゥアール・マネ「フォリー=ベルジェールのバー」の前で

 全長4キロにも及ぶ鑑賞ルートを進みながら富澤さんは、「当館は失われた作品や門外不出の作品の再現にも力を入れています」と解説を続けた。その一例は、ゴッホ。彼は南仏アルル時代に7点のヒマワリの絵を残したが、現在は各地の美術館に散り散りに。しかも、うち1点は日本の実業家の元にあったのだが、空襲で焼失し、〝幻のヒマワリ〟となっていた。しかし、ここでは、7点が一堂に見られるのである。

「それは贅沢ですね!」と答えつつも、見逃したくない作品があったので、先に進む。レオナルド・ダ・ヴィンチの〈最後の晩餐〉である。現存するダ・ヴィンチ作品では最大のもので、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にある。通常は数カ月前から予約が必要で、しかも当日は15分しか見学できない。また壁画は外に持ち出せないので、私は一生見ないで終わる可能性も高かった。

「こちらです」と案内された部屋に入ると……あった! あった!

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〈最後の晩餐〉(修復後)。ダ・ヴィンチの生前から破損が始まり、以後も度々描き加えられてきたが、1979年〜1999年に大規模修復。人物の顔が元に戻り、食器などに当たる光もよみがえった。「修復前」はこの真向かいにある 大塚国際美術館☎088-687-3737

 胸がときめいた。壁一面に広がる巨大な絵。淡い色もくすみも本や図録で見てきたままだった。すごーい!

 たくさんの人が椅子に腰掛け、ゆっくりと過ごしている。私も心ゆくまで堪能すべく、キリストの右こめかみにあるという遠近法の消失点を探し、弟子たちの表情やテーブルの上の皿の中身まで観察した。面白いのは、この美術館では〈最後の晩餐〉の修復前と修復後の両方を同時に見られることだ。見くらべると、イエスの口元が修復後は開いている。そんな楽しみ方もこの美術館ならではだろう。

 奥の部屋には〈モナ・リザ〉〈白貂しろてんを抱く貴婦人〉が並ぶ。「天才」の代名詞のようなダ・ヴィンチだが、彼が残した絵は10数点と、実はとても少ないのだ。

 この旅に私は『最後のダ・ヴィンチの真実』という本を持ってきていた。これを読むと、ダ・ヴィンチは500年後の今も人を惹きつけてやまないことがわかる。同書は、2017年に約510億円という美術史上最高額で落札された『サルバトール・ムンディ』(救世主の意)を追ったノンフィクションである。同作品は2005年に一般家庭で発見され、作者不明のまま約13万円で美術商の手にわたった。それから修復家やコレクターなどの間をさまよいながら、紆余曲折を経てダ・ヴィンチ作品だと一部関係者により判断される。時代を超えて新しい作品が発見されるなんて、事実は小説より奇なり! だが、それだけでは終わらない。著者は「『サルバトール』は今や隠された秘密の絵となった」と書いている。実は、この絵の周囲にはさまざまな思惑が渦巻き、まだ一般公開されないままなのだ。

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[今月の本]
ベン・ルイス著 上杉隼人訳
『最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望』
(集英社インターナショナル)

「最後のダ・ヴィンチ作品の発見」とされて注目を集めた男性版モナリザ「サルバトール・ムンディ」。1500年頃に制作されたこの小さなキリスト画が20世紀、アメリカの無名な美術愛好家に渡り、やがて史上最高額の約510億円で落札されるまでの軌跡を追ったノンフィクション。同ストーリーを映画化した「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」が全国で公開中。

 いつか私たちの前に姿を現す日がくるのか、それともこのまま〝まぼろしのダ・ヴィンチ〟になるのか――。もしそうだとしたら、失われた作品の復元に力を入れているこの美術館でいつか再現してほしい……とちょっと期待してしまう。

幾多の困難を乗り越えて

 そもそも、どのようにしてこんなユニークな美術館が誕生したのだろう。
遡ること20年余の1998年、鳴門市が創業の地である大塚グループの創立75周年記念事業として設立された。初代館長は、2代目社長の大塚正士まさひと氏。「それ以前、大塚はアートに関しては全くの門外漢でした」と美術館常任理事の田中秋筰しゅうさくさんは語る。一方で、グループ傘下の大塚オーミ陶業は、鳴門の白砂を利用してタイルを製造していた。そして、それを応用して、2万色にも及ぶ釉薬を用いて写真や絵を陶板に正確に焼き付けるという特殊技術を有していた。風雨や紫外線にも強く、2000年以上も色が劣化しない。そんな技術を生かして、会社創業の地、徳島県に貢献したいという思いで、美術館構想が動きはじめた。

 しかし、実現への道は険しかった。なにしろ各美術館や作品所有者にとっても前代未聞の試みで、作品の使用許可を得るのも一苦労。また、再現作業のためには、色や筆のタッチまで移しとるための膨大な準備作業が必要な作品もあった。そして、美術館の建設予定地は国立公園内にあり、建設許可もなかなか下りなかった。 

 幾多の困難を前に「私たちはもう実現不可能じゃないかと思ったけど、大塚は絶対に揺らがなかった」と田中さんは感慨深そうに思い出す。

 ついに迎えた開館の日には、世界の美術館の館長や職員が来日し、システィーナ・ホールで晩餐会が開かれた。そして23年後の今日、美術館は徳島県有数の観光スポットになった。

 翌日は、江戸時代末期から続く大谷焼の里を訪れた。大谷焼は、藍染用の甕やスイレン鉢など大きな陶器を作るための寝ロクロという技術で有名だ。

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 なかでも大正時代から続く窯元、森陶器には、平地にある登窯としては日本最大のものが残っている。今はもう使用されていないが、洞窟のような窯の内部に入り、見学することもできるのだ。

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鳴門市の山間に生まれた大谷焼。森陶器の登窯は国の有形登録文化財指定。お皿やコーヒーカップ、急須なども購入できる☎088-689-0022

 窯の内部に水琴窟を設置しているとのことでじっと座って、耳を澄ました。したたる水が生み出す音は、遠い世界から響いているかのよう。江戸時代の人々が聞いていたのと同じ音色かもしれない。

 時代を超えて受け継がれてきた焼き物や水琴窟と同じように、陶板も国境を越え、時を超え、鳴門を訪れる人々を喜ばせ続けることだろう。この先どんな作品が現れるのか、それも楽しみである。

文=川内有緒 写真=佐藤佳穂

川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家になる。第33回新田次郎文学賞『バウルを探して』(幻冬舎)、第16回開高健ノンフィクション賞『空をゆく巨人』(集英社)、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)など著書多数。

出典:ひととき2022年1月号


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