【豊橋市公会堂】複数の建築様式が融合する国の登録有形文化財|甲斐みのりの新幹線で建築さんぽ(豊橋駅)
第二次世界大戦中の空襲で、市街地の90パーセントが消失したという豊橋。戦後の復興期に農業用水路の上に建てられたビルや、古い商店建築が残る通りを何度か散策したことがある。そのとき外観を眺めては中に入ってみたいと憧れていたのが、戦禍を逃れ創建時の姿を留める「豊橋市公会堂」。1998(平成10)年、国の登録有形文化財に登録された建物だ。
民衆運動が盛んな大正デモクラシーの頃、豊橋でも大規模な集会を開催できる施設を望む声が高まった。そうして市制25周年にあたる1931(昭和6)年、昭和天皇即位大典の記念事業で竣工したのがこの公会堂。設計は浜松生まれの中村與資平。日本の近代建築の父・辰野金吾の事務所に入所してソウルの銀行の建設を任されたのち、朝鮮半島や中国で銀行・学校・教会などを手がけた。海外で実績を積んだ最初期の建築家である。
東海地方唯一の路面電車が走る国道1号線沿いの建物の正面に立つと、5連の半円アーチと列柱、花崗岩を使った大階段の、堂々とのびやかなファサードに目を奪われる。左右に設けられた階段塔の、ドーム屋根を囲む4羽の鷲の彫像が、勇壮にまちを見守る守り神のよう。
ホールに続く2階玄関の漆喰天井と、艶やかな手すりの螺旋階段の曲線にも、流麗なワルツの調べのようにうっとりとさせられる(写真下)。ヨーロッパの城や教会に多いロマネスク様式を基調としながらも、中近東風やスパニッシュ様式と、多様な表現が用いられているのも、西洋建築を学ぶため、不便な時代に約1年かけて17カ国を旅した與資平ならではだ。
式典や演奏会などに、手頃な料金でホールを借りることができるのも魅力的。豊橋出身の友人に伝えると、公会堂でのピアノの発表会の思い出を話してくれた。
文=甲斐みのり
写真=鍵岡龍門
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