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初雪やかけかゝりたる橋の上|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載が書籍化されました。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)』(ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。

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初雪やかけかゝりたる橋の上 芭蕉

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橋完成への祈り

 元禄六(1693)年は、芭蕉にとってたいへんな年だった。甥桃印が結核で重体であったため、江戸深川の隅田川のほとりにあった芭蕉庵に引き取って看病するが、三月下旬に亡くなってしまう。その落胆と猛暑のため、盆過ぎから約一カ月、門を完全に閉ざして、人と会うことはなかった。

 そんな芭蕉のこころを慰めていたものがある。隅田川の橋の建設である。芭蕉庵のすぐ上流で、この年の七月から架橋工事が始まっていたのだ。隅田川に渡される橋としては、千住大橋、両国橋に続く三番目である。当時、両国橋が「大橋」と呼ばれていたので、それよりも新しいこの橋は「新大橋」と名付けられる。これより下流の橋は、その当時まだなかった。

 掲出句は、俳諧撰集『其便そのたより』(元禄七年・1694年刊)所載。次のような意味の前書が付けられている。「深河大橋が半分程度架かったころ」。芭蕉は新大橋のことを「深河大橋」と記した。掲出句は元禄六年の冬の句ということになる。

 句意は「今年、初めての雪が降った。架けつつある橋の上に降り積もっているのだ」。明快である。橋の材の削りあげたばかりの白木の表面に降り積もった初雪は神々しいばかりだ。「初雪」という季語には、喜びの思いがこもる。今年も生きていて、初雪を見ることができたという思いである。その喜びと架橋工事が順調である喜びとが重ねられているのだ。橋がぶじに完成してほしいという願いも、初雪という季語に託されている。

「雪」は天から地へ水をもたらす。その水によって、ぼくたちの命を保つことができ、稲をはじめ作物を育てることが可能になる。また、「橋」は此岸と彼岸とを結び、人と人とを会わせる。天と地とを結ぶ垂直性と此岸と彼岸とを結ぶ水平性とが、一句にこめられているのも魅力になっている。

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元禄六年以来の新大橋

 都営地下鉄新宿線・大江戸線森下駅下車。はや、冬の夕暮れ、曇天で、空気が冷えている。A2の出口から出ると、交通量の多い新大橋通りである。通りを百メートルほど西へ進むと、隅田川にかかる新大橋に出る。今まで何度となく、森下駅を降り、芭蕉庵跡と目される芭蕉稲荷や芭蕉記念館を訪ねてきた。訪ねるたびに新大橋通りを歩き、新大橋を目にしてきた。しかし、この新大橋という橋の名が、芭蕉の生きていた元禄時代以来使われてきたものであることを意識してはこなかった。今回初めて、ずっしりと歴史の重みが加わった新大橋であることに気付いた。

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 現在の新大橋は昭和五十二(1977)年竣工の鋼鉄製。車道脇の歩道を渡っていく。橋の上は風が強い。満ち潮なのだろう。下流から潮がみなぎってのぼってくる。潮の匂いも濃い。芭蕉庵の近くと考えられている小名木川の合流地点は、300メートルほど下流、はっきりと見える。創建当時、新大橋は現在よりも200メートルほど下流に架けられていたという。芭蕉庵からはさらに近かったわけだ。

 橋の長さは約170メートル。浜町側にすぐ着く。この新大橋通りを進めば、日本橋、京橋、銀座方面に行き着く。新大橋が完成すれば、芭蕉は江戸の中心部に徒歩で行けるようになるのだ。そういう理由もあって、芭蕉は橋の完成を待っていたろう。曇天ながらビルの彼方には冬夕焼が見えている。

 橋の上を森下方面に戻ると、ビルの間に完成間近の東京スカイツリーがのぞく。ぼくはすぐには俳句に詠めないが、新大橋を詠んだ芭蕉が今生きていたら、この新しい塔を詠むかもしれないと思った。掲出句に見られるように、芭蕉は、公共の建造物に関心を持つ一面がある。ぼくらの作る俳句はもっと個人的なものになってしまっている。

 芭蕉庵跡近くの川べりから新大橋を見直してみようと、森下の道を歩いて行くと、路上に絵が描かれていた。さまざまな色のチョークを使って描いた塔である。作者の子はすでに去っていて聞けないが、この絵はまさにスカイツリーではないか。スカイツリーに憧れる思いが、多くの色によって巧みに表現されていた。ぼくの俳句よりこの路上の子どもの絵の方が芭蕉の句に近い。近くの釣餌屋には子どもたちが集まっていた。芭蕉庵のあったあたりは、不思議に子どもたちの気配が濃い。

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 新大橋の完成は元禄六年旧暦十二月七日であった。芭蕉は完成した新大橋も句にしている。「みないでて橋をいたゞく霜路かな」(『泊船集許六書入はくせんしゅうきょりくかきいれ』)。句意は「深川の住民はみな家から出て来て橋をありがたくちょうだいし、霜の降りた橋を渡ることだ」。作ったのは十二月七日当日か。待望の橋が完成した喜びを「橋をいたゞく」とまっすぐに表現している。

 みなぎる波は冬の波なり川上へ 實
 釣餌屋にこどものこゑや帰り花

※この記事は2012年に取材したものです

小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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