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父のかき氷|文=北阪昌人

音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第17回は、この春に部長となって慌ただしい日々を送っていた女性がかき氷の聖地として知られる奈良・氷室神社で聴いた、氷を削る音です。幼い頃の父親とのほろ苦い思い出が蘇ります。(ひととき2023年7月号「あの日の音」より)

奈良の氷室神社が見えてきたあたりで、母から電話があった。

「夏希、ねえ、たまには、お父さんに電話してあげてよ。ああいう人だから、口には出さないんだけどね、一人娘の顔を見たいのよ。このところ、すっかり歳とっちゃって、元気ないの」

「ごめん、お母さん、仕事中だから」

「あ、ああ、ごめんねえ、電話、切るね」

仕事中というのは半分嘘で半分本当。

奈良には出張で来ていて、さっきまで新しいプロジェクトの打ち合わせをしていた。この春、部長に昇格した。喜んだのもつかの間。やることが多くて、頭が追いつかない。常に何かに追われているような焦りがあった。

むしろ出張に出たほうが、自分の時間が持てる。心を落ち着かせるために、氷室神社に向かった。なぜ、氷室神社か……。

早めに会議が終わった。ふと、同じ部内の女性が言っていた言葉を思い出した。

「部長、今、奈良って、かき氷がすごいことになっているんですよね。ああ、かき氷好きの部長はきっとご存じでしたね」

知らなかった。あわててネットで調べてみて、驚いた。奈良は、この10年で確かに、かき氷の聖地になっていた。その中心が、氷室神社。

毎年4月1日から9月30日まで平城京に氷を献上した、氷室の守り神を祀る由緒正しい神社。境内近くに、かき氷の店があった。

ガリガリガリ~。

氷を削る音がする。胸の奥が、かすかに疼く。そうだ……幼い頃、私は、同級生が持っていた、クマさんの可愛いかき氷器が欲しくてたまらなかった。何度も何度も、親にねだる。でも、願いは聞き入れてもらえなかった。

父は小さな町工場を経営していたが、資金繰りがうまくいっていないようだった。

子どもなりに、家の経済状態がよくないことはわかっていたが、氷を削るたびにクマの目がくるくる回るかき氷器が、欲しかった。

ある暑い夏の午後。「ほら、これ」と父がぶっきらぼうに指さした。ちゃぶ台の上に、ものものしい機械があった。母が、氷をのせる。やがて、ガリガリガリ~。父のお手製、かき氷機だった。

氷を削る音が、怖い。物々しい。

「こんなのいらない!」私は泣きだし、その場を立ち去った。

去り際に見た、父の横顔。薄笑いをしていた。それが、なんとも哀しかった。

父のかき氷機が、その後、どうなったか、わからない。その機械でかき氷を食べた記憶がないので、怒った父が捨ててしまったのか……。

ガリガリガリ〜。かき氷屋さんから、相変わらず涼し気な音が続く。

私は、電話をかけた。

「もしもし、お父さん? 元気? うん、こっちはまあ、相変わらず。あのね、来週の週末、帰ろうかな、そっちに。うん、別に、何もないけど。あ、そうだ、ひとつ、聞いてもいい? 昔、私が小さい頃、お父さんが作ってくれたかき氷機、もしかして、まだあるかなあ……。」

文・絵=北阪昌人

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※この物語はフィクションです。次回は2023年9月号に掲載の予定です

出典:
ひととき2023年7月号

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