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通勤ラッシュの旅人 円満字二郎(フリー編集者兼ライター)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2023年6月号「そして旅へ」より)

 最後に旅をしたのは、いったいいつのことだろうか。

 学生時代には、青春18きっぷや周遊券を片手に、一週間ほどの一人旅に何度も出かけたものだ。働き始めてしばらくはそんな余裕もなかったけれど、家庭を持って十年くらいは、年に一度の長期休暇をどう過ごすかと言えば、たいてい夫婦での海外旅行だった。旅とはおもしろいものだ。どこへ行こうか、どんな宿に泊まろうか、などと計画しているときのわくわく感が、たまらない。それなのに、いざ出発の日が迫ってくるとなぜだか急に億劫おっくうになってきて、前日の夜、ふとんにくるまる時でさえ、「やっぱりやめようかなあ」などと考えている。朝、目が覚めてもまだ消極モードは続いているが、しかたなく腹をくくり、荷物を背負って自宅の玄関から一歩を踏み出す。その瞬間から始まる解放感ときたら! 日常からの解放、それこそが旅の本質であることは間違いない。

 フリーランスになってからは、そういう旅にはほとんど出られていない。仕事で遠方に行くことはあってもほとんどは日帰りだし、いろんな事情があって家族旅行ともとんとご無沙汰。もう十年以上、旅らしい旅をしていないのだ。気が付けば、ぼくもいよいよ五十代の後半。残された年月を意識するようになってきた。このままでいいのだろうか……。

 旅らしい旅ができていないのは、確かにさみしいことだ。しかし、仕事での移動の合間や、日々の買い物に出かける途中に旅を楽しむことだって、できないわけではないのかもしれない。そんなふうに思うようになったのは、「大隠たいいんちょう」という四字熟語がきっかけだ。その由来になっているのは、三世紀ごろに中国で作られた漢詩の、次のような一節である。

  しょういんりょうそうに隠れ
  大隠は朝市に隠る

 俗世間を避けて山奥のやぶかげに隠れ棲むのは、並みの隠者。真の隠者は、朝廷や市場などでふつうの人々に紛れて暮らしているものだ。俗には染まらない確固とした自己があるからこそ、俗にまみれたままでも生きていけるのだ。

 本物の隠者の悠然とした生き方には恐れ入るが、とすれば、日常からの解放感を味わいたいがために旅に出ていたぼくなどは、並みの旅人にすぎないということになるのだろう。本物の旅人は、日常を離れずとも旅ができる。通勤ラッシュの電車の中でつり革につかまっているスーツ姿の人たちの中にこそ、実は真の旅人が隠れているのかもしれない。

 とはいえ厄介なのは、いざ、「大隠朝市」なんてことが言われるようになると、こんどは「大隠」を気取りたいがためにあえて「朝市」に隠れる者が出て来ることだ。そんな俗物は論外だが、「旅に出ずとも旅はできる」などとうそぶいた瞬間に、ぼくも同じ穴のむじなとなってしまうような気がする。

 真の旅人になるのは、そう簡単なことではなさそうだ。

文=円満字 二郎 イラストレーション=駿高泰子

円満字 二郎(えんまんじ じろう)
フリー編集者兼ライター。1967年、兵庫県西宮市生まれ。出版社で漢和辞典などの担当編集者として働いた後、独立。『昭和を騒がせた漢字たち 当用漢字の事件簿』(吉川弘文館)、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢字の動物苑 鳥・虫・けものと季節のうつろい』(岩波書店)など著書多数。

出典:ひととき2023年6月号

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