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ラリベラの祈り――知花くらら(俳優)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え、「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2020年9月号「そして旅へ」より)

 昨年春から、とある芸術大学で建築を学んでいる。祖父から譲り受けた戦前の沖縄の古民家をいつか建て直すのが目標。建築はずっと憧れの学問。でも現実は甘くなかった。10月の出産後も、夫や家族のサポートもあって、どうにか学びを続けているけれど、課題の量は半端じゃないし、何よりも自分の大雑把な性分がどうしても図面に出たりして。向いてないかも、と心の骨折を何度しただろう。

 そんな大学の学びで、先日ある課題が。〝祈りの空間をつくりなさい〟という。床面積や敷地の指定はあるものの〝何に祈るのか〟ということは書かれていない。私は早速つまずいてしまった。建築の演習課題なのだから、解き方のパターンがある。それを習得できればまずはクリアといったところだろうけど、何だか納得がいかない。大切なことをすっ飛ばすようで。ふと思い出したのは、エチオピアのある老婆の姿だった。

 国連WFPの活動で、エチオピアを訪れたのは2013年のこと。干ばつによる水不足が深刻で食糧難が続いていた。人々の暮らしの基盤は脆弱で、天災に翻弄されていた。

 ラリベラを訪ねたとき、せっかくなので、世界遺産であるラリベラ岩窟教会群へ足を延ばすことにした。この教会はエチオピア正教会の祈りの場で、十字に岩を掘り削った、想像以上に大きな建物だった。ツンと赤土の乾いた匂いがした。壮麗というより野生的。内部に入ることはできなかったけれど、上から見ると溝のように見えていた部分が狭い通路になっていて、少し歩いて回ることができた。

 そこには不思議な静寂があって、話し声は、ゴムまりが跳ねるように壁に反響する。ふと向こうを見やると、一人の老婆が壁際に座っていた。着ているものはくたびれ、日焼けした顔には深いシワ。一点を見つめ、微動だにしない。もしかすると貧しくて家がないのかもしれない。私には、その老婆の姿が祈っているように見えた。広いエチオピアの空の下、美しい赤土の聖なる場所で、自分の命を示すかのように。写真を撮りたかったけれど、ファインダーで覗く勇気はなかった。静寂な空間に、老婆の姿はあまりに切実で、入り込む余地はそこにはなかった。見ていると胸が苦しくなるほどだった。

 そういえば、これまで旅で出会った人々は、いつだって自らの力が及ばないものに翻弄され、祈っていた。綿花が売れますように、洪水がきませんように、家族の病気が治りますように、畑に雨が降りますように、ミルクがたくさん取れますように。祈りは、そこで生きるための心の叫び。そして、あの荒々しいほどまでに土着的で美しい空間は、老婆の心の叫びと聖なるものの接点だったのだと思う。あの独特な静寂さと赤土の匂いが蘇ってくる。不条理の苦しみも悲しみも、丸ごと受け入れ、包み込んでくれる祈りの空間。それは人々の心を包容するほどに、静寂さと美しさを増していくものなのかもしれない。時とともに、その土地の匂いを纏って。建築を学んでいる今だからこそ、訪ねたい世界の景色がある。

文=知花くらら イラストレーション=林田秀一

知花くらら(ちばな くらら):俳優。沖縄県出身。ドラマやCMなどで幅広く活動する傍ら、WFP(国際連合世界食糧計画)の日本大使としてアフリカやアジア各地を訪問。また、2017年には角川短歌賞で佳作を受賞、19年に初の短歌集『はじまりは、恋』(角川書店)を刊行した。

出典:ひととき2020年9月号


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