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常連客として暮らすー那覇の町で|宇田智子(古書店店主)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただく連載あの街、この街。第37回は、那覇市第一牧志公設市場の向かいで「市場の古本屋ウララ」を営む、宇田智子さんです。那覇に住みはじめて10数年、宇田さんの那覇の町に寄せる思いとは・・・。

 69年前の『琉球新報』の夕刊に「あの町この街」というコラムが連載されていたのをたまたま知って、那覇の泉崎にある沖縄県立図書館に行った。

 ぶあつい縮刷版を繰る。連載は1955年12月1日から25日まで。初回のリード文は次のように書きだされている。

 「“戦後十年”という唄い文句も余すところ三十日、十一年目を迎えようとする今年の師走になって“あの町、この街”が見ちがえるようになつた。きたない路地も、田ンぼも沼地も、無人の境地も十年後の今日は夢にも思わなかつた街がひよつくり生れ出た。この街づくりの基礎になつたものは通りである(以下略)」

 これを受けて、那覇の平和通りの成り立ちと現在の様子が紹介される。以後、那覇の国際通り、コザの大通り、名護の平和通り、糸満の市場通りなど、県内の25の通りが取り上げられた。

 「通り」をテーマにした連載に「あの町この街」というタイトルがつくのが、はじめは不思議に感じられた。でも、本文を読むうちに納得できた。

 たとえば平和通りは、「那覇の商業センターとして市の発展の動脈となつている」けれど、十年前は「二束三文の沼沢地」だった。戦後、那覇の旧市内は米軍に接収されて立ち入りを禁じられたため、市民はここに道をつくるしかなかった。「付近にあつた一トン爆弾痕の穴」は、何名かが「砂や石を運んで埋めたて」、「沼沢地に土砂を入れて地均らした」。

 その後も通り会が街灯をつけ、夜警団を設け、那覇市とお金を分担して道路舗装工事をした。今後はアーケードの設置や川の美化に取り組むと会長がコメントしている。

 ほかの回を読んでも、ゴミの処理や道路拡張など、行政がやるような仕事を通り会が引き受けている。戦争で町が破壊されたあと、ひとりひとりが道をつくり家を建て店を始めて通り会を結成することが、そのまま町づくりになった。

 町は「ひよつくり生れ出た」のではなくて、だれかが意志をもってつくったものだ。連載を読むと、そのことがはっきりとわかる。

 かつて私は、町は「ひよつくり生れ出た」ものだと思っていた。団地も公園もスーパーも最初からそこにあり、私はあとから来た人だった。横浜の小学校で横浜港の歴史を習っても、自分にかかわりのある話だとは思えなかった。私はできあがった町を歩くお客さんにすぎない。

 那覇に移り住んで初めて、町をつくった人の存在を身近に感じるようになった。まさに目のまえにいたからだ。県知事でも市長でもなく、たまたまここで商売を始めた人や通り会に関わった人が、自分とまわりの利益のために川を暗渠にしたりアーケードを建てたりしてきた。自分たちで町をつくる、その活動はいまでも続いている。

 この春、那覇で3度目の引っ越しをした。これまで住んでいた家のごく近くなのに、一度も歩いたことのない道に面している。たまに通りすぎるだけだった八百屋さんで初めて買いものをしたり、遠いと思っていた病院がふいに現れて驚いたり。中心をわずかにずらすだけで、町の見えかたが変わった。

 時間のある日は散歩する。急な坂や階段が多くて、ぐるぐる歩いているとすぐに迷子になる。

 斜面に張りつくように車がとまっている。マンションの目のまえに苔むした巨大なお墓がある。コンクリートの建物の入口が、大きく育ったテリハボクに覆われている。金網に結びつけられたビニール袋に、「落し物です」と書かれた紙とメガネが入っている。

 道というより壁と壁のすきまのような狭い路地に入りこんでは、不安になる。私がここを歩いてもいいのだろうか。近くに家を借りているからといって、用もないのに。行き止まりにだれかの家が現れるとあわてて引き返し、無事に通りぬけられるとほっとする。店を知り、抜け道を知り、信号が変わるタイミングを知るごとに、町になじんでいく。

 那覇に住みはじめたころ、私は沖縄の人にはなれないんだなあとよく考えていた。たとえ結婚して沖縄の姓を名乗ったとしても、なれない。じゃあどこの人なのかと聞かれてもわからない。自分には居場所がないことに気づいた。

 いつまでも外から来た人のままでも、常連客としていさせてもらえばいいか、と最近は思っている。この町に代々住んでいる人も外から来た人も、だれもがすでにできあがったものを使いながら暮らし、必要なものは新たに生みだして、町の姿をつくりかえてきた。沖縄の人になれない私も、いまはほとんどの時間を那覇で過ごして、町の片隅を動かしている。

 那覇は港があって空港があって、よそ者も観光客も迎えいれてくれる、懐の深い町だ。これからも歩いたり人の話を聞いたり町の活動に関わったりしながら、いられる限りここにいてみたい。

文・写真=宇田智子


宇田智子さんの新刊『すこし広くなった「那覇の市場で古本屋」それから』(ボーダーインク)

宇田智子(うだ・ともこ)
1980年神奈川県生まれ。2011年より、那覇市第一牧志公設市場の向かいで「市場の古本屋ウララ」を営む。著書に『那覇の市場で古本屋』(ボーダーインク)『市場のことば、本の声』(晶文社)『増補 本屋になりたい』(ちくま文庫)。24年5月、ボーダーインクより『すこし広くなった「那覇の市場で古本屋」それから』を刊行予定。

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