見出し画像

谷崎潤一郎とTwilightの平等院鳳凰堂

偉人たちが綴った日記、随筆、紀行を通してかつての京都に思いを馳せ、時代を超えて人々を惹きつける古都の魅力をお伝えする連載「偉人たちの見た京都」。第4回は、文豪・谷崎潤一郎の『朱雀日記』です。60歳で京都へ移り住んだ谷崎が、若かりし頃に初めて平等院鳳凰堂を見た時の忘れられない第一印象が記されています。

 旅先の印象は時間と天候によって大きく左右されます。写真や映像で見慣れたところでも、早朝や夕方に行ってみると、また違った顔を見せるもの。京都にはそうした多面性のある場所がたくさんあります。

 1912(明治45)年4月。『刺青』や『秘密』などの小説で、文壇から注目を浴びつつあった26歳の作家・谷崎潤一郎(1886~1965)は、新聞に京阪見物記を連載するため、京都を訪れました。

画像4

写真提供:芦屋市谷崎潤一郎記念館

 東京生まれの谷崎にとっては初めての京都訪問。谷崎は精力的に京都の名所旧跡を歩き回ります。そのなかで、ひときわ彼の印象に残った場所が、夕刻に訪れた宇治の平等院鳳凰堂でした。

私は今度京都へ来てから、都合二度鳳凰堂を見物している。

最初に見たのは、四月の末の、十日ばかりの月の光が、そろそろ落日の空を明るくしかけるTwilightの折であった。

 十円硬貨の表面にその姿が刻まれ、日本人にもっともなじみの深い建造物の一つである平等院鳳凰堂。日が西に傾きかけた夕方頃の時間帯。十日ばかりの月とありますから、少し膨らんだ上弦の月が、やや南の空に浮んでいます。その夕月の空の下を、谷崎は平等院に向かって歩きます。

細長い宇治の通りを抜け、あがたの森の少し先を北へ曲って、平等院の東側の築地の尽くるところから、こんもりとした青葉のこみちをさらに左へ踏み分けると路がだんだん下り坂になって、宇治川の堤におおわれている平たい窪地の、緑蔭の底に潜って行こうとする時、たちまち密樹の枝を透かして、下の方から、鳳凰を戴いた二重瓦屋の搏風はくふうが、ちらちらと隠見し始める。

 宇治の市街から平等院に向かう府道に面し、あがた神社は今でも地域の護り社として健在です。この神社のあたりを、かつては県の森と呼んでいました。現在は神社の先の南門からも平等院を拝観できますが、谷崎は平等院と宇治川の間にある小道(あじろぎの道)から表門に向かって進んだようです。

画像7

あじろぎの道

 明治の末頃、宇治川に沿ったこの道はどのようなたたずまいを見せていたのでしょうか。樹影は濃く、道行く人はずっと少なかったと思います。ただ、樹木を通して鳳凰堂の破風が垣間見えていたことは間違いないようです。いよいよ鳳凰堂との対面です。

坂を全く降り切ってシムメトリカルな堂の正面を迂回してしまうまで、左右の回廊のはしらの間隔やたるきの角度が、一歩々々に変化を来たし、絶えずさまざまの優雅な態度を示してくれる。

運動の関係を逆にして考えれば、堂が空中に舞を舞っているようなもので、いらかの波のさす手ひく手の緩やかな踊振りは、五六羽の鳥が翼をはためかして群がり騒いでいるような感じを与える。

 表門から平等院に入ると、鳳凰堂の横手に出ることになります。全体を鑑賞するには正面に回らないといけません。谷崎も堂の正面を目ざしますが、一歩歩くたびに建物の表情が変わって見えます。彼はそれを「堂が空中に舞を舞っている」と描きます。さすがは後に文豪とうたわれた谷崎潤一郎。この表現には感嘆するばかりです。

SA-5鳳凰堂斜めs

阿字池あじいけの汀を伝わり、建物の真正面へ来れば、堂は次第に写真で見る通りの端厳均斉な姿勢を保ち、踊りの手をぴたりと静めて、美人の顔から笑いの表情の消えて行くような、淋しい、落ち着いた相を現ずる。

 鳳凰堂の前にある池を阿字池といいます。池を隔てて堂を正面に臨むと、ちょうど翼を広げた鳥のようにも見え、また屋根の上に一対の鳳凰が据えられていることから鳳凰堂と呼ばれるようになりました。堂と正対した谷崎は、今度はそこに静黙な美人の姿を感じ取ります。この対比も谷崎らしい観察力でしょう。

SC-1 鳳凰像

藤原時代の栄えと誇りと威厳とを、重々しい線の力にこめて、曲折高低の勢いを作っている建築の立派さは、まことに驚嘆しなければならない。

 鳳凰堂は平安時代後期、1053(天喜元)年に関白藤原頼通によって建立された阿弥陀堂です。華やかな平安王朝時代をしのぶ数少ない遺構であり、建物だけでなく、阿弥陀如来坐像や雲中供養菩薩像、中堂壁扉画など多くの文化財が国宝に指定されている、日本が誇る世界文化遺産です。

夕景全景

夕闇の池の面は、腐った水がよどんでいながら、むしろ硝子が張ってあるように、冷めたく堅く平たく見える。そうして大理石の廊下へ物象の映るくらいな鮮かさに堂の影がさかしまに映じている。

 鳳凰堂の景観の大きな特徴は、池の中の島に建てられていること。極楽の池に浮ぶ宮殿のように、その優美な姿を水面に映し出しています。これは平安時代を代表する浄土庭園の様式で、極楽浄土の光景を再現しようと試みたものです。

八百年の星霜せいそうを経て生存の力の稀薄になった建物が、水面に浮ぶ影と共に平安朝の幻の如く立ち現れて、しばらく虚空に楼閣を描き、私がちょいと眼を閉じている間に消えて失ってしまうかと危ぶまれる。

大方夕ぐれの月の光と日の光が互いに融け合って神秘な色彩を堂の周囲にひたひたと漂わせているせいであろう、深い木立の隙までもぼんやりと薄明るく見えて甍の鳳凰が真黒にそびえている後の空は、ちょうど十四五年も前に流行った石版画のような青味を帯び、昼と夜とが刻々に領分を争い続けていた。

 鳳凰堂の美しさを堪能しながら、歴史の彼方に思いをはせているうちに、いつしか夕暮れが迫ってきました。まさに昼と夜との境になる時間。堂の背後の空は、青とも黒とも言えない、底の深い海のような不思議な色となっています。

画像6

*通常夜間ライトアップは行っておりません

鳳凰堂はいつ行っても見られるかも知れない。しかし天地が幽玄な羅衣らいを被って、夢の世界のような現象を呈している一瞬間に、私の頭へ刻まれた第一印象は、当分忘れられまいと思う。

 夕方のTwilightの時間は、まさに逢魔が時。昼と夜とが移り変わる時は、昔から他界と日常をつなぐ時間帯と言われています。夏が終わり、秋が近づく頃、黄昏の平等院鳳凰堂には、夢の世界への入り口が待っているかもしれません。

墓717901_m

谷崎が眠る法然院にある墓。「寂」の文字が刻まれている
法然院:京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30番地

出典:谷崎潤一郎『朱雀日記
文=藤岡比左志
写真提供(鳳凰堂・鳳凰像)=平等院 

平等院
京都府宇治市宇治蓮華116
拝観時間:8:30~17:30(受付終了 17:15)
https://www.byodoin.or.jp/
【編集チームより】拝観時間中に夕暮れの景色をご覧になるには、9月下旬以降がおすすめです。

藤岡 比左志(ふじおか ひさし)
1957年東京都生まれ。ダイヤモンド社で雑誌編集者、書籍編集者として活動。同社取締役を経て、2008年より2016年まで海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」発行元であるダイヤモンド・ビッグ社の経営を担う。現在は出版社等の企業や旅行関連団体の顧問・理事などを務める。趣味は読書と旅。移動中の乗り物の中で、ひたすら読書に没頭するのが至福の時。日本旅行作家協会理事。日本ペンクラブ会員。








よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。